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第1回 9月18日(火)17:00~
- 上映作品:
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『クレージー黄金作戦』
1967年、坪島孝監督
157分・35mm・カラー
ゲスト:菊地成孔(音楽家/文筆家/音楽講師)
ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々で、一貫する高い実験性と大衆性、独特のエロティシズムと異形のインテリジェンスによって性別、年齢、国籍を越えた高い支持を集め続けている。2010年、10年間の全仕事をUSBメモリに収録した「闘争のエチカ」を発売。最新アルバムはDCPRG「SECOND REPORT FROM IRON MOUNTAIN USA」。
聞き手:GAMO(東京スカパラダイスオーケストラ)
スカをベースにジャンルにとらわれない幅広い音楽性“TOKYO SKA”で、日本に留まらず多数の海外ツアーでも、20年以上に渡り成功を収め続けている「東京スカパラダイスオーケストラ」のテナーサックスを担当。
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【ゲストの紹介と挨拶】
司会・荒木:皆さん、こんにちは。本日は「カルト・ブランシュ」、2012年度の第1回にお越しいただき、ありがとうございます。「PFF ぴあフィルムフェスティバル」ディレクターの荒木啓子と申します。「カルト・ブランシュ」に初めてご参加の方も多いと思いますが、この企画は4年前に始まりまして、「PFFぴあフィルムフェスティバル」が本年の3つの企画のうち1つを担当しています。
本日は皆さんに『クレージー黄金作戦』を見て頂き、そのあと菊地成孔さんとGAMOさんに、たっぷりと時間を取って、お話しして頂きます。
早速上映を始めようと思います。皆さん最後までごゆっくりご鑑賞ください。
--- 『クレージー黄金作戦』(坪島孝監督、1967年、157分)の上映 ---
司会・荒木:皆さんにご覧頂きました『クレージー黄金作戦』、フィルムセンターが数年前に東宝から購入したプリントで、非常にキレイで驚いています。同時に、全盛期の渡辺プロダクションのこのミュージカル、というか音楽ものが、テレビでなく映画で記録されていることによって、今こうやって何十年もたって観ることが出来るというのも、素晴らしいことだなと改めて感じています。クレージーのこのシリーズ観たのが初めての方、いらっしゃいますか? あ、意外にいらっしゃるのですね。わかりました。
ではこれから、お待ちかねのトークの時間に入らせて頂くのですが、まず菊地成孔さんをご紹介します。菊地さんどうぞ前へお越しください。ではこの後は菊地さんにお任せ致しますので、宜しくお願い致します。
<菊地成孔氏が登壇>
菊地: よろしくお願いします。この『クレージー黄金作戦』を私がプレゼンテーションするという形で、皆さんにスクリーンでご覧頂くという機会をいただきまして、大変光栄に思います。
ここ東京国立近代美術館フィルムセンターには、日本映画だったら大抵なんでもあるというお話で、最初は一瞬迷いました。もうお亡くなりになりましたが、森田芳光監督の『ときめきに死す』、これによって1984年を振り返るか、あるいは『クレージー黄金作戦』によって1967年を振り返るかというはかりにかけまして、結果として『クレージー黄金作戦』を選ばせて頂きました。
今ほとんどの方がクレージーキャッツの映画をみたのが初めてだという事実を前にして、どういう話から入っていいかわからないのですが、クレージーキャッツの海外ロケものは、『クレージーメキシコ大作戦』、『香港クレージー作戦』という風に、このラスベガスの他にあと2作ありまして、まあうるさがたのシネフィルなどは『クレージーメキシコ大作戦』の出来がいいとかといったようなマニアックな鍔(つば)競り合いもあったりします。
この作品は、非常に研究されることの多い作品です。なにせこういうご時世ですから、帰ってご検索頂けば大変な量の資料や言及に触れることが、インターネットで可能になっています。特に、クレージーキャッツ結成が1955年ですから、2005年は結成50周年ということになり、2005~08年にかけては、これはチラシでも申し上げたことですけれども、非常に盛んにクレージーキャッツの作品がDVDBOXというような形で発売された。今では手軽に非常にきれいなプリントの状態で、この作品のみならず、クレージーキャッツのほとんどのコンテンツが、テレビ番組に至るまでDVDで自宅でみれるようになりましたし、Youtubeなどの動画サイトの定着によって非常に貴重な映像なども自宅にいてたちどころに、「谷啓」といれると谷啓関連の画像が山ほど、(この一時間ほどのトークのあいだ敬称略とさせて頂きますが)、谷啓で相当の数が出てくるという状態になっています。
私もまだ49歳の若造ですが、齢も49ともなりますと涙もろくなり、夜な夜な谷啓さんが出た「シャボン玉ホリデー」(1961~72年、日本テレビ)とか、この『クレージー黄金作戦』の予告編なんかを見ながらですね、もう感涙にむせぶという、これはいささか気持ちの悪い話ですので言うのは控えますけれども、谷啓さんの動画があって、そのヒット回数が一万回だとすると、三千回は私だというようなありさまだと自分でも思います。
非常にまあ、戦後の喜劇映画史といわず日本映画史といわず、非常に重要なトピックをもった作品ではありますので、先ほども言ったように、細かい話はインターネットなどで検索することが出来ますが、なにせ私あちこちのメディアに書いている通り、実家の両側が、家を出ると左側が東宝館、右側が松竹館と映画館に挟まれた家で育ちました。この映画の公開当時、1967年ですけれども、私4歳ですが、母親に抱かれてこの映画をみた記憶があります。
ただまあ4歳児の記憶ですので偽記憶かもしれず、そこらへんは特に証拠がないのですが、私の記憶だとラスベガスのメイン道路、ラスベガス・ブルーバードを借り切った例のわずか十数秒の交通道路閉鎖によるミュージカルシーンが終わった瞬間に、観客席から大変な拍手が沸き起こったというような事態もありました。
都市伝説もいくつか、都市伝説というか、今日はこの映画の美術を担当された方がいらっしゃっているという話もうかがいましたので、ショーがすべて終わった後に直接伺おうと思うのですが、私の記憶では、この映画の公開時は休憩が入っておりまして、オリジナルの脚本を今読むことが出来るのですけれども、脚本を読むと三人が命からがらラスベガスに到着し、ホテル・リビエラに着いてクレージーキャッツ・ショーの、まああれは実際にショーはおこなっていなくて看板だけですけども、クレージーキャッツ・ショーの看板を見て、実際そのセリフは脚本に書いてあるだけでレーザーディスクにも今のプリントにも残っていませんが、植木等が「ホテル・リビエラも見つけたことだし、ここらで一休みするか」というセリフを挨拶に休憩に入り、そして休憩の後半に入るというような公開形態だったような気がします。
ただ現在のプリントでもDVDでもそのセリフもなく、これは私の記憶のねつ造、もしくは複数、同時的な記憶のねつ造の多発といったようなことが起こったかもしれませんが、いずれにせよ主人公であるハナ肇、谷啓、植木等すでにこの世になく、この映画の当時、谷啓35歳、植木等40歳、ハナ肇37歳という現在の日本人の平均的なエイジングの発想からも想像もつかない時代で、思えば遠くにきたものだ、と。
ちなみに、園まりさん、おわかりのようにですね、園まりさんは看護婦さん役ですけれども、元祖アイドル。園まりさん23歳で、ザ・ピーナッツが、今ピーナッツじゃなく片方だけになってしまいましたが、ザ・ピーナッツが26歳です。
浜美枝さん、今の若い方に説明するには、峰不二子さんのキャラクターの原型というか、必ず現れては主人公に悪運を与え、そして奪っても、逃げても逃げても追いかけて最後まで幸運をしぼりとってしまう美女という、浜美枝さんが演じておりましたこのキャラクター、非常に魅力的ですけれども、浜美枝さんが当時27歳というような状況ですね。私は公開時4歳でした。
1967年は、藪から棒に何を言い出すのだという話ですが、ジャン・リュック・ゴダールがすでに商業映画から撤退し始めた年であり、ビートルズはすでに「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」によって、脱アイドルということを完全成功させた時代に、日本の娯楽の頂点にあった、ナベプロの渡辺晋社長の一つの悲願というか、これはあのクレージーキャッツの映画でそもそも一本立ての映画をやりたいということから始まった企画です。
当時日本映画は二本立てで、実際公開時にはこの作品も併映作品があったのですが、それは例外的に短編です。なぜそうしたいのかと言うと、一つは映画館での興行収入というのは、二本でやれば当たり前ですが二本で山分けになりますので、クレージーキャッツ目当てで来たお客さんのお金が併映作品の方にも流れていく。これが渡辺晋、ナベプロの社長ですね、が許せなくて、クレージーキャッツの映画だけで観客が動員出来るんだという実力を示したかったという芸能界的な事情がもちろんあります。
けれども、なにせこの映画の製作クレジットは渡辺プロダクション、東宝と出ていますが、東宝が出したお金はスタッフと撮影機材のみ、あとの経費は全てナベプロが捻出しているという形になっておりまして、芸能的なトリビアでいえばジャニーズというタレントは、現ジャニーズエンターテイメントの、ちょっと前ジャニーズ事務所と我々が呼んでいたあの事務所の1号のアイドルです。なんでジャニーズのアイドルがナベプロの映画に出ているかというと、当時まだジャニーズはナベプロという会社の中に包括されていたのですね。ここら辺に関しては、今ジャニーズは帝国化しましたが、ジャニー喜多川さんという方はロスで生まれた日系アメリカ人であって、ジャニーズエンターテイメントは現在こういう状況になっており、ナベプロは今こういう状況になっていったというのは、昭和から平成にかけての芸能の興亡史というのは、繰り返しまたその話かよと言われるかもしれませんが、インターネットで(笑)、ほとんどの情報を得ることが出来ますので、興味のある方はぜひ、そうですね、あたって頂きたいと思います。
というわけで、この作品はまあ禍福というか非常に当時から賛否両論ありまして、曰く尺が長すぎてクレージーキャッツ的なスカッと爽快に観られる喜劇にしては重すぎるという説。或いはそうでもないけれども、なにせ二番館やテレビ上映が非常に難しい形になっておりますので、当時あの二番館での再演あるいはテレビでの上映ということが映画の興行収入に関してバカにならない時代に、まあ1つの災いになってしまったという側面もあります。
ただこれも偽記憶かもしれませんが、私この作品、劇場で母親に抱かれて観た記憶もありますし、テレビで前編後編に分けて、昼間テレビの放映で観た記憶もありますが、これはさすがに昨晩一夜漬けでインターネットで慣れぬ、私検索が苦手なんですが、一生懸命検索してみたのですが、そこらへんに関しての資料は見当たりませんでした。
脚本の笠原良三さんは戦中派で、『土と兵隊』『南の島に雪が降る』といった日本の太平洋戦争を扱った秀作の脚本を書いている方でありまして、途中主人公の三人がネバダ砂漠、あそこはアメリカが核実験を行って、俳優のジョン・ウェインの肺がんのもとになったと言われるロケ地ですけれども、ネバダ砂漠で三人が迷うシーンというのは、これは明らかに南方戦線で、ガダルカナルといった南方戦線での日本軍の降伏というものを連想させる。そしてハナ肇が「ここで自分は死んで骨を埋めるのだ」というけれども、ラスベガスに向かっていくというシーンは、当時の観客にとっては、太平洋戦争終結から22年しか経っておらず、とはいえ東京オリンピックから万博に向かうという1964年から1970年の、ど真ん中67年に製作された映画ですので、そういった含みもあります。
私があちこちのメディアに書いていることですし、私事なのであまり繰り返したくないんですけども、私の兄が私と14年が離れておりまして、私の世代的にはもう50がらみとはいえ実はもう仮面ライダー、ドリフターズというのは私の世代のジャストマッチ。ですが、仮面ライダーが放送開始した1971年には石橋エータローさんが脱退し、クレージーキャッツが実質上解散という状況になり、「シャボン玉ホリデー」の放映も実質上終焉に向かっていくという時代でしたので、友人には1971年に仮面ライダーが始まって新しい時代が来たが、私にはまったく新しい時代は来ず、一番楽しい時代が終わったというような一世代前のままクラッチされてしまっているまま、今日まで来ているわけです。
こうして私が『クレージー黄金作戦』に関してそして現状に関して語り始めると中年のノスタルジーという、非常にたちの悪い事に拘泥してしまいがちですので、そうならないための安全策として、本日は私が現代のクレージーキャッツと信じて疑わない「東京スカパラダイスオーケストラ」から、私の飲み友達でもあり、安田伸の生まれ変わりともいわれているテナーサックス奏者のGAMOさんに来て頂きましたので、ご紹介させて頂きます。GAMOさんです。
<GAMO氏が登壇>
GAMO: どうも。
菊地: ありがとうございます。
GAMO: いえいえ、お話が面白くて。
菊地: いやいやいや、何から聞いていいか、あれなんですけど。もうご覧になったことはあります?
GAMO: はい。ただ結構昔だったので、今回を機にちょっと色々チェックしました。新たな発見がやっぱりありますね。
【クレージーキャッツの音楽】
菊地: 新たな発見って?GAMO: いや、なんかこんなに音楽が・・・。
菊地: 音楽ヤバいっすね。
GAMO: 水準がすごいな、かっこいいって。今の時代に改めて。
菊地: よく日本の音楽は洋楽に対して遅れているという認識があり、あれは全共闘が作った幻想ですけど、全然遅れていませんで。これご覧になれば分かります通り、言葉が日本語なだけで歌唱力も全く問題ないですし、演奏も素晴らしいですしね。
日本人はリズム音痴だとかブルースは歌えないとかいう言論も一時期ありましたが、まあ戦前まで遡れば日本のほうが全然、洋楽と変わらないということが分かってくるわけですけれども。敢えて正しい読みではなく一般的に流通した名前で言わせて頂きますが、宮川泰(みやがわ たい)さん、「ひろし」さんですね、本当はね、宮川泰さんまだ36歳。そして萩原哲晶さんは、「はぎわら ひろあき」と本当は読みますが、通称「はぎわら てっしょう」さんが42歳と、いずれにせよ我々よりはるかに年下の人間が作った映画とはとても思えないですよね。
GAMO: ですね。
菊地: 宮川泰さんはザ・ピーナッツと園まりさんのデビューを、今でいうとAKBに対する秋元さんみたいに仕掛けた方ですので、当然音楽家としてクリエイトされているのですが、とにかくアンダースコアというかバックトラックもね。
GAMO: すごいですよね。
菊地: すごいですよね。
GAMO: これどうやって音楽つけていたのですかね? やっぱり映像が先にあって。
菊地: 映像観て録っていたと思います。当時どのくらいの予算がアンダースコア、あのオリジナルサウンドトラックに投下されていたのか、ちょっとこれは資料などを見ないと。
GAMO: もの凄いんじゃないすかね。
菊地: ビックバンドですからね。
GAMO: ええ。びっくりですね。
菊地: フルオーケストラ。萩原哲晶さんが。
GAMO: そうですよね。
菊地: 関係者のすべての本が出ているという状況ですので、なんですかね。行ってもないのに言うのも無責任ですけど、TSUTAYAさんの代官山店とかですか、ああゆうカルチャー本屋さんなんかに行くと、多分「Movie日本」というコーナーがあって、クレージーキャッツに関する本が山ほど出ていると思うので、そちらにあたって頂きたいんですけど。まあ我々ジャズベースを標榜しているミュージシャンが聞いても圧倒的なクオリティ。
GAMO: 圧倒的なクオリティですよね。
菊地: どいつが三番トラ、トロンボーン吹いていたんだ? という「そいつの息子出てこい」といったような、一同に集めたいというね、気持ちにさせられるクオリティですよね。
【高度成長期とクレージーキャッツ。バブルそしてスカパラ】
GAMO: そうですね。あの、僕らスカパラって呼ばれているんですけど。菊地: はい。知っていますよ、それは(笑)。
GAMO: ちょうどデビューが1990年で。まあ皆揃いのスーツで、当時10人以上いたりしまして、結構「平成のクレージー」なんて言われたりしました。
菊地: 言われた時期がありましたね。はっきりとコントをやっていた時代もありましたね。
GAMO: そうですね。テレビとかで竹中直人さんとかとご一緒させて頂いたりとか、結構そういう、やっていたんですけれども。バンドの本体とは別にホーンセクションだけで色んなところに行く仕事があったんですが、邦楽の仙波清彦さんがやっている「はにわオール・スターズ」というのがありまして、それで以前地方に行ったときに、たまたま谷啓さんのスーパーマーケット。
菊地: はい、スーパーマーケット。近田春夫さんの一時期の作品ですね。谷啓さんとスーパーマーケット。
GAMO: その時にご一緒させて頂いて。なんとその時に谷啓さんが「君たちのことよく知っているよ」と言ってくださった。「君たちのファンなんだよ」なんて言ってくれて、もう本当に土下座する勢いで挨拶をさせて頂きました。
菊地: それはもうなんというか、何かの役割が、バトンがパスされた瞬間というか、まあ話ですよね。今、メジャーデビューの、アルバムデビューの話として1990年っておっしゃいましたけども、本当の結成は1985年ですよね?
GAMO: そう、バンド名ができたのが1985年ですね。
菊地: ですよね。だから、もうスカパラが生まれたてっていうのは実際クレージーキャッツの結成30周年ってことですよね。クレージー結成が1955年なので。
GAMO: そうですね、はい。
菊地: だから普通に世代的に言うと親子っていうか。
GAMO: そうですね、うん。
菊地: 30歳で子ども生んだらスカパラだった(笑い)。
GAMO: はい、そうですね。
菊地: あるわけですよね、全然。30歳って当時はもう年配ですけど、バンド的には30歳だっていうことですよね、クレージーキャッツは。今、谷啓さんにご挨拶受けて恐縮したという話がありましたけども、スカパラには、クレージーキャッツなんだ、クレージーキャッツがどういう感じなんだというのはあったんですか? あるいは長い活動中そうした自意識とか。共演されたことは他にあるですか?
GAMO: 共演したことはないですね。ただ、今いないんですけど、バンドマスターのASA-CHANGが「お茶の間にスカを」っていうのをテーマとして最初提唱したんですね。なので必然的にクレージーとかですね、当時90年代ってもう何回かまわってまた、そのかっこいいじゃないですか、そのスーツ姿とか。
菊地: おしゃれですよね。
GAMO: おしゃれです。
菊地: とにかくおしゃれですよね。
GAMO: そうなんですよ。ちょうど色々50’sだったり、いろんな70’sだったり、あったと思うんですけど、僕らが出てきたころちょうどクラブシーンとか、結構こういうモッズなピタッとしたスーツですね。
菊地: いわゆるモッズスーツですよね、一般的に言われる。
GAMO: ちょうどぴったり(時代が)来ていたんですよね。
菊地: モッズスーツは、この世代のアイビーとかプレッピーとかをもう一回細く、ジャイビーアイビーに細くし直した、そして差を出した。この頃まだボックスも大きいですし、とはいえ全部モッズスーツのお手本だし、ウエアリングとあとグラスとかも、合わせに関しても完璧に出来あがっていますよね。私、ちょっとメンズは苦手なんですけど、レディースの服飾をちょっとやっていますので、これもう浜美枝さんのスタイリングは本当に凄いですよね。これはどなたがスタイリングされて、どこから持ってきて、どうやって合わせられたのか、想像するだけでも一晩持つというか、うっとりしてしまうような素晴らしいスタイリングですよね。まあ、スカパラがデビューした時代、なんとも言えませんね、幾星霜ですよね。スカパラは長いですよね。
GAMO: ありがとうございます(笑)。
菊地: 一夜漬けウィキペディアで申し訳ないんですけど、スカパラ1985年が本当に生まれたときで、実際オリコンで1位取るのは17年後ですね。
GAMO: そうですね。
菊地: 17年間やってきて一位超えるってのは、凄いことですよ。
GAMO: そんな資料があるんですか。
菊地: あるんですよ。結成から7年にデビューして、その時15位圏内ですよね。13位~12位、それから30位、35位という状況を経て17年目に一位になって凄いな。まだ健在でもバリバリ。
GAMO: バリバリですよ。
菊地: 去年、一昨年ですか? ご一緒させて頂いたの。
GAMO: ありがとうございます。そうなんですよ。僕らのアルバムでちょっと菊地さんと上原ひろみさんを。
菊地: まあ上原ひろみさんはVIPですので、私はついていったという。
GAMO: あははは(笑)。
菊地: スカパラさんとツアーを回ったんですけど、もうとにかく私の知る限りなので非常に狭い範囲なのですけど、最も努力し、最も日本国民を明るくし、しかもあまつさえ日本国民だけじゃないという(笑)。東欧の外れの方の人まで元気にさせてくれるという状況をスカパラは、今担っている。
GAMO: ええ。
菊地: 全く暗さがない、ですよね。
GAMO: ええ。でも、例えば去年? 一昨年でしたっけ。年明けとかライブをしたり。
菊地: はいはい。
GAMO: 年明け早々、菊地さんに紋付袴でサックスを吹いて頂いて。ちょっとやっぱ、クレージーですね。
菊地: あははは(笑)。気がついたらもう紋付袴と刀が用意されていたので、有無も言わさず紋付羽織袴で出たんですけど。あれも「シャボン玉ホリデー」というか。
GAMO: そうですね。
菊地: 結局そこですよね。
GAMO: はい。
菊地: クレージーキャッツってのは、巨大な運動体というか日本芸能史に残るグループですので、お帰りになったらYoutubeなんかでね。
GAMO: Youtube勧めるんですか(笑)。
菊地: 違法ですから基本的には。あの、1985年に一回、クレージー結成30周年ってかなり大きなイベント、テレビ番組やらライブで、タモリさんなど、ジャズ関係者がクレージーキャッツと共演していくようなものもありました。まだ存命中あった青島幸男さんとかと一緒に、楽しく昔のナンバーを演奏している。それも含めて浅草東宝での粘り強いオールナイト、オールナイト、オールナイトの経験で、私なんかそのクチですけど(笑)。観てって必ず『クレージー黄金作戦』が最後なので、コレ観終わると外が明るくなって。
GAMO: へえー。
菊地: 最後に御経みたいな歌を聴くと明るくなっている。
GAMO: あははは(笑)。
菊地: 私の知る限りですけど、これはまぁdisりになったらいけませんから、あんまりこう言えませんが。何度も何度も「無責任男リターンズ」。今のナベプロの稼ぎ頭はネプチューンですから。ネプチューンの原田泰造さん。原田さんを植木等さん役に充てた無責任シリーズの舞台版、とかいうのが一昨年、去年あたりにあったりして、やっぱりクレージーキャッツを再評価しようという。要するにナベプロもまだクレージーキャッツを生きたコンテンツとして、なんとかやるんだというトライが過去何度もなされているんですけども、まあこれは、そういったナベプロも映画、無駄だとかチャらいとかいう意味ではなくて、オリジナルにはどうしても。中山秀征さんがやりかけたときもありましたし。原田知世さんで「シャボン玉ホリデー」がリバイバルされたというテレビ番組(1986年)がある。まあ大抵私持っているんですけれども(笑)。クレージー再評価というのに弱くて。クレージーキャッツ何周年とか言われると必ずVHSに録画しては辛い時間をすごすっていう。
GAMO: あははは(笑)。
菊地: そんな中ですね。何が悪いかと言うと東京スカパラダイスオーケストラっていうのは、紛うことなき平成、21世紀の、結成こそは昭和ですが、言ってしまえばバブルど真ん中、プラザ合意の年に結成ですからね。もう本当のバブルの年に結成したわけですけども。日本のクレージーキャッツであり、カウントベーシーオーケストラであり、スーツで、あの、揃いのスーツで身を固めて、非常に明るい、日本人が音楽活動をするとき、ちょっと気を緩めると内省的・文学政治になりがちな誘惑を、何十年にも渡り払い除け続けた。
GAMO: ええ(笑)。
菊地: メンバーに物故者が出ているというのに、必ず明るくやり続けるということですね。
GAMO: あははは(笑)。
菊地: 現場を学んだりして、その感は更に強まりました。
GAMO: やった。
【敗戦と明るさ。転機としての1963年】
菊地: なんていうんですかね、この映画を当時劇場で観ていたお客さんの中に第二次世界大戦の経験者がいる。私の父も満州に行っていましたけど。戦争終わってほんの十数年ですよね。私カウントしましたけど交通を封鎖したのはわずか18秒です。しかも後ろにいる人たち「何だコイツら」って顔していましたけど(笑)GAMO: あれほんとのエキストラなんですか?
菊地: いやアレは、車止めたのはほんの一瞬ですね。全員日本でリハーサルを繰り返し、テイクワンで踊って撮った。
GAMO: すっげー。
菊地: ですからね、ポリスメンも周りの人もね、何だコイツらって感じの。しかしまあ、その前の砂漠が南方戦線の記憶だとすれば、アメリカに渡ったんだという形で感涙される方も多かったと思いますけど。しかし、スカパラと谷さんが競演歴がなかったっていうのは意外ですね。
GAMO: そうですね。地方で谷さんとお会いして。映画に出られていた加山雄三さんは何度かお会いしています。
菊地: 加山雄三さん、実際はこれハワイ行ってないですからね。
GAMO: あれそうですよね。
菊地: 加山雄三さんの美女に囲まれるシーンは日本で撮っていて、ワイキキビーチでは若大将は遠くにしかいない。あれはダミーの方がいるんですけど、スケジュール調整が間に合わなかったというところだとは思いますけど(笑)
GAMO: あははは(笑)。
菊地: 資料によると、まあ観りゃ分かるって話なんですけどね。あの有名なラスベガス・ブルーバードのシーンのイントロデュースのところ。駐車場でしたよね。
GAMO: あぁ、そうですね。
菊地: うん。ブルーバード出てからは18秒で終っちゃうんですけど、イントロがあっても18秒じゃないですか。そのイントロの間はなんとですね、これも資料によるものなんで私実際知らないんですけど、ずっと長い間私これラスベガスの駐車場で撮ったと思っていたんですよね。
GAMO: えぇ。
菊地: アレ見る限り駐車場じゃないですか。いくつかのシーンは深大寺らしいですね。
GAMO: ほんとですか。
菊地: えぇ。吉祥寺の植物園の裏に駐車場があって、そこで撮り足したらしいですけどね。
GAMO: へぇー!
菊地: なんかもうここらへんの全ては、シネフィルの方なんかが、まことしやかにインターネットに書いているものなので、ホントかどうかは分かりませんけども。そこのところ凄いですよね、ラスベガスで簡易に結婚式が挙げられるとかね、そういう後々有名になることがもう入っている。プレスリーの映画なんかでもね、もう入っているわけですけども。まあいずれにせよ日本の戦後ってのは、ちょっとおかしなことになっており、1963年にあらゆることが全部出過ぎた。アメリカ、欧米で時差式に来ているものが、日本だと63年にドンと一気にまとめて来る。ビートルズのデビューも63年ですし、まぁ63~64年ですね。で、オリンピックが64年でしょ。で、ボサノヴァも63年のゲッツ/ジルベルトとか、もうちょっと前からあったんですけど、日本で一般的なのが63年で。輸入が綺麗に成されなかったおかげで、いろんなもんがまとめて63年にきちゃったんで(笑)
GAMO: うん。
菊地: 海外とのまだ文化時差があった時代ですね。今は無いですけど当時はあった。さっき言ったようにゴダールが資本主義にケリをつけてパリからバイバイし、ビートルズはもうすっかりアイドルでは無くなって、ナベプロにビートルズもどきのマージビートのバンドとかね、ブルーコメッツとか今、映っていましたけど、これはエド・サリヴァン・ショーの(出演した)直後ですけど。まあそういう文化時差を含めてですね、スーツ着て、コンチで、ジャズで、かっこいいんだっていうね。その価値観を映画2・3本観てバッと上っ面でやったんじゃなくて、ガッチリ集合体として対面したのはやっぱスカパラだと思うので。
GAMO: あははは(笑)。
菊地: ただスカパラはクレージーに比べるといい男すぎますよね。谷中敦さんとかいるから。
GAMO: いい男何人かいますね。
菊地: あははは(笑)。
GAMO: 当時はそれ結構言われましたね。
菊地: そういう論調ありました?
GAMO: いやあの、僕じゃないんですけど。例えばその谷中は「二枚目だね」ってよく言われていましたね。
菊地: あぁー。
GAMO: あと色んなメンバー、けっこういい男揃っているんですけど。俺が言うのも変ですけど。
菊地: いやいやいや(笑)。僕は初めてGAMOさんを拝見したとき、ライブの時なんですけど、安田伸さんのコスプレなのかなって思うくらいで。
GAMO: はい。
菊地: 我々お互いテナーサックス奏者なんで、やっぱマウスピースとか気になっちゃう。
GAMO: 気になっちゃいますね。
菊地: 楽器のモデルとかね。
GAMO: 見ちゃいますね。
菊地: 見ちゃいますよね。安田伸さんの存在ってどうなんですか?
GAMO: うーん、とてもあの、ぐっときますね。あの立ち位置とか。
菊地: 立ち位置とかね。
GAMO: なんていうんですかね。楽器の特性じゃないですけど、なんか見ているとやっぱり、ああこの人サックスだなとか、例えばこの人トランペットかなとか。そういう感じというのは何となく出ていますよね。
菊地: スカパラはクレージーだよねってのは、言われませんでした? 大滝詠一さんとか言わないの?
GAMO: あんまり言われなかったですね。
菊地: そうですか。まあ音楽的にはやっぱスカですからね。
GAMO: そうですね。
菊地: ただね、やっぱりバカ明るいっていうか、終戦してからまだ22年しか経っていないんで、人命が今より軽いっていうかね、「ああ死んじゃった」という感じで。人命の軽さとまだ敗戦のトラウマが22年ぐらいじゃ取れないな、それがこの原動力になったんだっていうことですよね。今は戦争が無くなって大分経ち、人命ばかりが重くなって、人々が自殺してしまうんじゃないかという不安にばかり僕なんか思うようになりましたけど。まあこの、こういった明るさですよね。これこそが戦後っていうか。
GAMO: 先ほど谷啓さんの話をしましたけど、谷啓さん自体はお会いするととっても丁寧な方で。僕みたいな若造にも「どーもどーも」みたいな感じで。植木さんなんかも、僕はお会いしたことないんですけど、とても真面目な方でみたいな。そういう方たちからどうしてスクリーンでこんな風なバイタリティが出るのがすごく不思議で。
菊地: そうですよね。日本を復興させるんだっていう使命感だと思いますね。ビートルズ、ボサノヴァ、モダンジャズ、62~63年にまとめて来た。1962年が「ニッポン無責任野郎」ですので、そういう形で60年代が始まっている。我々も生まれて、GAMOさんは私よりちょっと下ですけども、いや~、一つも内省的にならないのが凄いですよね。
GAMO: 凄いですよね。
【世の中は博打と夢。戦前としての現在】
菊地: ほんと凄いですよ。「金だ、金だよ、キンキラキンノキン」って、拝金主義に見せかけて。音楽的なことを言いますけど「金だ、金だよ、キンキラキンノキン」ってあの歌、萩原哲晶さんも宮川泰さんもミシェル・ルグランと同じで、アメリカ人ではないけどもジャズを勉強した。中村八大さんなんかもそうですけども、ジャズを勉強されたジャズ通の方は、非常に綺麗で複雑なハーモニー書く。テレビ番組の一発OKのショーでも信じられないような複雑なコーラスラインを谷さんが歌ったりされて、歌った後「難しいな、これ」って言ったりするんですけど。そんな中、「金だ、金だよ、キンキラキンノキン」の曲は、3オクターブのユニゾンなんですよ。ハーモニーがないんですよね。一番下がハナ肇、真ん中が植木等、ソプラノが谷啓で、「キンキラキンノキン」っていう(笑)。GAMO: あははは(笑)。
菊地: この、なんていうんだろ、涙なくしては聴けないっていう3オクターブユニゾン、ほんとすごいですよ。ハンパないですよね。キンキラキンキラ言って、拝金主義に見せかけていますけど、実際は世の中は博打と夢なんだということを伝えているのが、クレージーキャッツの真価というか、金っていうのは入る時は入るし、無くなる時は無くなるんだ。それよりも愛する人に誠実であったり、いつでもバイタリティがあるということを、それがトラウマみたいなものにバックアップされていようともね、そういった形のメッセージ、砂漠も乗り越えてラスベガスに着くのだと。この感じっていうのは命脈が断たれていて。
私もジャズが娯楽の中枢にあった時代から、言ってしまえばナベプロの呪縛なんですけどね。ナベプロはクレージーキャッツからタイガースにという時代がきて、音楽ジャンル的に言うとモダンジャズからグループサウンズへ持ってきちゃって、モッズ、ロック、ジャズがジャンルミュージックとして吹き飛ばされちゃう状態に、アメリカも日本もそうですけど。日本で言うとナベプロの呪縛と言ったら悪いことのようですけど、ナベプロは別に悪いことしようとしたわけではなくて、儲かるものに走った結果、ジャズが脇にいってしまった。一時期ジャズは芸能界というものを支配していたわけで、私も活動の中で再支配したい、一種のリベンジですよね、そういう気運もあってやっている訳ですけど。ジャズじゃなくても、ジャズと同じ編成でスカをバシッとスーツを決めて演奏している、スカパラがまだ健全だということを喜びたいと思います。
クレージーキャッツでご存命なのが犬塚弘さんと桜井センリさん。桜井センリさんにいたってはもう90代ですから。たまにね、神谷町で見かけることがあるんですけど(笑)。あっ、桜井センリって思うことがあるんですけど(笑)。追いかけて「サインください」とは言えないんですけど、これは悪い冗談なんですけど、半分は霊界にいらっしゃるような、現実界にいらっしゃるのは半分のようで、ふらふらと。犬塚弘さんはまだお元気ですけど。まあ、ファンとして会って話せるかというと、ちょっと無理かなっていうくらいの大きい存在ですね。もう、いやほんとね。
これを機会にクレージーキャッツのコンテンツ、私の世代はドリフターズなんで、ドリフ、仮面ライダーというロクでもない世代ですから、クレージーキャッツのコンテンツが家にないわけなんですけど、まあ今60代くらいの方が持って、家でDVDで見れる。植木等ショーまで見れますから。でもDVDボックス自体は新品でいろんなとこで安く売っていますから、ご自宅でもいいので拝見して頂いて、まあ合わせて東京スカパラダイスオーケストラの(笑)、DVDいっぱい出てますよね?
GAMO: そうですね。
菊地: 交互に見るっていうね。モニター2つあったらこっちにクレージー、こっちにスカパラっていう。
GAMO: そうっすか(笑)。
菊地: 一時期コントやったりして、かなり、最近スカパラって良い男すぎますよね?
GAMO: そっ、そうですね。
菊地: 去年の、俺が侍の格好して「ちょっと待て~」って、これだけじゃ誰だか分かんないだろー(笑)あれがスカパラがやった最後のコントだったんじゃないか、今良い男になっちゃって。
GAMO: いや、そんなことはないですよ(笑)。
菊地: 今は図らずもたいしたシリアスさではなく申し上げますけども、あくまで図式的な情報ですけど、右を見ても左を見ても戦前という雰囲気が濃厚で、だいたい領土取り合うようになったら危ないですから、どこ向いても、戦前の大正時代にモボ、モガって遊び人やっていた人が第二次世界大戦を止められなかったというのが歴史の必然で、我々、1980年代にモボ・モガやって遊びくるっていた連中が、この後若い人が突っ込んでいったら止められない。そんな簡単に歴史は反復しないとはいえ、これこそが戦後なんだっていう22年目の力のありかたなんだっていうような形で、まあパワーを、霊的なヒエラルキーをとっていくっていうようなね、ということが重要じゃないかという気がしますね。
はい。あと15分ありますね。だいたい言いたいことは言ってしまいましたけど(笑)。GAMOさん、なんかないですか? 楽器のこととか。上手いですよね、安田さんって。
GAMO: 上手いですよね。あれなんでしたっけ? 『ハーレムノクターン』。この方、芸大で。
菊地: そうです、そうです。
GAMO: あの方たちの本ちゃんのジャズを聴いてみたかったですよ。
菊地: あ~、いわゆる我々世代だと幻で実際には見れなかったという日劇のショーとかね。
GAMO: 噂には聞くじゃないですか。実際に聞いてみたかったですね。
菊地: まあ、チューブフォルト相当出てきますよ。チューブ、チューブ申し訳ないんですけど(笑)。物好きいうもんでね、あの当時の植木等ショーなんて日劇で一発のライブですから、客がいる前でやっている。あと結成10周年のクレージーキャッツのライブなんか涙なくしては見れないですから。一人ずつ紹介されていって、安田伸さんになると『ハーレムノクターン』。くるね。
GAMO: それは見たことないですね。
菊地: カデンツァとかすごいですよね。ハナ肇さんのドラムも歌もただ派手なだけじゃないね、シンクルーバースタイルの上に、あのー、ちょっとマックス・ローチを超えているものも入っているというさ、ジャズミュージシャンが聞いても本当に半端じゃないスキル、ですしね。こう、おしゃれですしね。
GAMO: そうですね。
菊地: うーん、ここでは脇役ですけどね、安田伸さんね。
GAMO: そうですね。俺はやっぱり立ち位置が好きですけどねぇ。
菊地: 立ち位置好きですか
GAMO: ええ、好きですね。
菊地: ああ、やっぱりこう、花形をさされる、みたいな。
GAMO: そうですねぇ、うーん、かなぁ。
菊地: ははは。
GAMO: 犬塚さんも好きですけどね。
菊地: なんか、あれですよね。ロン・カーターの影響を明らかに受けてるんじゃないかって。ホント、ルックスもロン・カーターじゃないかという、時あったですね。やばいですよねえホントに。
GAMO: ははは。
菊地: ヤバヤバですよ。実際。そうか、まぁでもGAMOさんってそんなにこう、安田伸さん、まぁ、楽器が同じだというのと、まぁなんていうのかなぁ、なんとなく類推でこう、安田伸、えっと、単にルックだけでいうと、安田伸さんと石橋エータローさんのミックスですよね。
GAMO: あー、そうかもしれませんね!
菊地: あははは(笑)。なんでこう、脇役感がありますけどスカパラでは全然脇役じゃないすね。僕びっくりしたんですけど。
GAMO: いえいえ、そうすか? うんー、まぁ。
菊地: 一番ガナってるじゃないすか、ははは。
GAMO: いやいやいや、そうすかねえ? あんまり人前に出れないんで、なんですかね。
菊地: 人前に出れない?
GAMO: ああ、ライブの時とかはその、なんかこう。
菊地: ライブの時の、ガナりすごいじゃないですか。あのボックスの譜面台に立っちゃったりなんてして。
GAMO: ああ、もう、わかんなくなっちゃうんですよね。あの、ステージ立つと。
菊地: あははは(笑)。フライアウェイしちゃうんですか。
GAMO: そうですねぇ。
菊地: なるほどね。
GAMO: ええ、だからその、さっきも言いましたけど、なんか、そういう感じなのかなぁとちょっと、あの、たとえばその植木さんとか、
菊地: はいはいはい。
GAMO: その、本当にあのお寺の。
菊地: うん、お寺のお坊さんですね。この間もだから、あの、くしくもですけど、まぁ、関係者というかファンにはおなじみ、植木たちは本当に実際、寺の坊主の役をやった。ご実家が、お父さんご住職ですからね。だから、やったんだということも含めてですね。
GAMO: うーん、ま、だからそのレベルは全然違うとは思うんすけども、なんかステージ立っちゃったら、もうわけわかんないみたいな、
菊地: トランスするんだ、みたいな。
GAMO: ええ、そういう感じはあったんですかねぇ? 聞いてみたかったですね。
菊地: そうですよね。でもやっぱりこう、振り付けとかもすごいですよね。
GAMO: すごいですよね。
菊地: もう、群舞とかさ、だからさっき言ったようにおっさんが踊っているように見えますけど37歳なんですよね。その、せんべいやは。
GAMO: ああ!
菊地: うん、あのー、日本ってどういう国になっちゃったのかなと、ホント思いますね。いまの37歳、これで出て来たら大変ですよね。
GAMO: そうですねぇ。若いですよね皆さんね。
菊地: 若いですよね。谷啓さんが35歳です。うーん若いですよ。踊りもねー、すごいキレとかね。
GAMO: これ本当にワンテイクなんですか?
菊地: いろんな説があるんですよ。ただ、封鎖するのにすごい金かかるわけです。あれね。
GAMO: うーん、なるほどなるほど。
菊地: それで、かけられた時間が、まぁいずれにせよ10分はなかったろうと。
GAMO: はいはいはい。
菊地: 封鎖しますよーってします、照明用意して、はい位置ついてってやっている間にもう数分たっちゃうじゃないですか。
GAMO: うーん。
菊地: だからもう一発で決めるぐらい。ただもう、毎週毎週一発で、長い30分のコントとかを決めて毎週毎週、毎週毎週どころか、週2週3でやって月に一回コマ劇場もあったという人たちなので。
GAMO: すごいですねぇ。
菊地: すごいですよ。でも、スカパラのツアーも半端じゃないですよね。
GAMO: いやいやいや。
菊地: 二言目にはスカパラスカパラ言いますけど。
GAMO: あ、いやいや、まぁまぁ。
菊地: 信じられない本数やっていますよね。
GAMO: なんか、なんでですかねぇ?
菊地: ライブがねぇ、終わるとねぇ、ホカホカしているじゃない? で、私は外様ですから、別室に菊地成孔さんて部屋があって、そこでマネージャーと二人で待っていると、皆さんまず入浴されるんですよ。それで心肺、あの、心拍数を整えるためにライブ終った瞬間、プッシュアップする人とかいて
GAMO: はははは。
菊地: それで全員変わりばんこに、てんこしゃんこにシャワー浴びて、でしばらくして待つともうみんなさ、テカッテカでバスローブ来て現れるの。(会場笑)お待たせしましたってさ。
GAMO: ははは、いや違うんすよ、全員じゃないですよ。
菊地: あははは(笑)。全員じゃないですけど、ほぼ全員行くじゃないですか。それで反省会やるでしょ?
GAMO: そうですねぇ、ええ。
菊地: うーん、あんなんやってるの、クレージーキャッツとスカパラだけだと思うんすよ。
GAMO: あははは(笑)。
菊地: うちのバンドも大人数ですけど反省会一回もやったことないですし。シャワー浴びたことも一回もないですからね。
GAMO: はは、そうですか。
菊地: きりっと、もう文字通りスカッとされて。ホントもうピカピカに現れて、「さぁ打ち上げだ!」というあの粋な感じってのは、もう実際バックステージでもやっている人はいないっていう。
GAMO: そう、ですねぇ。ま、こんだけ長くもう二十何年やっているんですけど、ライブもこんだけ本数やっているとですね、
菊地: もう世界中回るじゃないですか。
GAMO: そうですね。今年も、この間オリンピックのロンドンの開幕裏で開催されているロンドン最大のワールドミュージックフェス、ウォーマッド(WOMAD)っていうすごい歴史のあるフェスに行ったりとかですね。もう、いろんなとこに行っているんすけど。とにかくその、終ってから「次どうしよーか」みたいな、常に新しいなんか、ものちょっとでもいいからエッセンスを注入して行こう、みたいな感じでやっているんですけどね。
菊地: あれすごいですよねぇ。「菊地さん打ち上げまで、ちょっと反省会やっているんで待っててもらえますか」いうと、2時間ぐらい待つよね。(会場笑)
GAMO: ははは(笑)。
菊地: もうみんな寝ちゃったのかな? と思って、マネージャーと二人で飲みに行こうかって、うちのマネージャー下戸だから、俺だけ飲んでも、一人で飲んでもなーって思ってると、かえってらっしゃるんすよ。もう、ディオールオムのコートとか着て帰ったりしているんです。
GAMO: いやいやいや。
菊地: だから、チャラいもの着てないじゃないですか。
GAMO: いや、そんなことない。
菊地: あそこからディオールオムのコート、今いきなり上がりましたけど、GAMOさんのことですからね。
GAMO: いやいやいや。そんな、違います違います。
菊地: もう、全員とてつもない、まぁ、一応、いらぬ目利きですから、あれ着てるこれ着てるって。
GAMO: いえいえいえ。違います違います。
菊地: そのー、他のロックバンドだのジャスバンドじゃあ、ありえない、あのー、あの服にかかる係数ですよね。
GAMO: いえいえいえ、洋服はね、結構あの、友達が結構、知り合いがやってるんで、つくってるんで。
菊地: まぁ、まぁ、とはいえですよね。
GAMO: いえいえいえ。
菊地: そのー、ふつうもう汗流した後はスウェットでいいじゃないですか。
GAMO: あははは(笑)。
菊地: そこスウェットにしないとね。
GAMO: そう、ですかねぇ?
菊地: オフステージもばっちりしてんだっていうのあんなんないですよ。
GAMO: いやいやいや。
菊地: あれ、うーん、反省会も1ツアーくらい一緒にやったんだから、俺も反省会に入れてくれって思ってたんですけど。
GAMO: いやいやいや!
菊地: とうとう門外不出でしたね。
GAMO: とんでもないです。そんな申し訳ない、そんなね。
菊地: 当時まだアーティストって言葉がない時代ですけど、アーティストでありエンターテイナーであるということの両立が半端じゃない、ですよね。それはね。
GAMO: そう、ですねぇ。その、やっぱりそのー、もともとそのスカって音楽で僕、初めて、ま、いろんなところに言ってるんですけど、インストラメンタルって。
菊地: はい。
GAMO: ま、ジャズのインストラメンタルみたいなので、若者が踊っている感じってのはすごく、ショックで、80年後半はねぇ。
菊地: はいはいはい。
GAMO: そっからなんで、なんていうんすかね、今何言おうとしたんすかね?
菊地: まああれですよね、あのー、ロンドンムーブメントですよね。
GAMO: そうですね。
菊地: 要するにエアグルーブだとか。
GAMO: ええ、ええ。
菊地: インストラメンタルのモッズスーツで若者が踊り狂ってるって状況はまあ、なかったですからね。
GAMO: そうですね。
菊地: あれもいきなり出てきたですからね。
GAMO: ええ。で、あの当時は言われましたね。こんな、大人数のバンドがメジャーデビューしたってどうせすぐ、もう。
菊地: うんー、もうダメだってね。
GAMO: よく言われてましたね。
菊地: うーん、言われてましたねぇ。でもまぁ、なんてか。あのー、長、もう長命バンドとしても相当、ですもんね。
GAMO: そうですねぇ。
菊地: うん、クレージーキャッツが55年からまぁ、あの実際の解散期が事実上の解散、として71年だとした場合ね、まあ諸説ありますから異論ある方もいらっしゃると思いますけど。まぁ、えー、単純にいうと20年持たない、わけですよね。
GAMO: はい。
菊地: その間でもものすごい速さで、あのもう、映画があり、えー、シャボン玉ホリデーがありして、日劇がありといったような流れですけども。スカパラがでも85年だからなんだ、2005年、2015年までだったら30周年じゃないすか。
GAMO: そうですねえ。もう、最近びっくりしちゃうんですけど、ロックフェスとかにもよく呼ばれて行くんですけども、ついにこの間、忌野清志郎さんがなくなられちゃったんで、もう気が付いたら僕らが一番年上の時があって。
菊地: 最年長ね!
GAMO: 最年長バンドになってた時が一回あって、はい。びっくりしちゃいましたけどね。
菊地: ヤバいですよねぇ。
GAMO: ええ。
菊地: ヤバいですよねぇ。だって、えっと、北原雅彦君がいくつだっけ?
GAMO: この間51歳になりましたね。
菊地: おおー、腰が抜けそうな話ですよね! こんななってますからねぇ。
GAMO: 一番若いですし。
菊地: 一番若いですよね。
GAMO: バンド内でも一番若い。
菊地: 全員体作られてるんです。
GAMO: ええ。
菊地: 作られたりしてね。もう素晴らしいですよ。
GAMO: ははは。
菊地: まあうちらが、まあうちらってDATE COURSEですけど、まあうちらが、あの、インパルスと契約したんだもん。
GAMO: そういうことですよね。
菊地: ええ。はははそうなんすけども。もうその時には相当歳で、この三人の歳ははるばる超えていたんだっていうね。まあ素晴らしいですよね。本当にね。まあそうですねぇ、あのー、いずれにせよとにかくコンテンツとしてはだいぶ、あの今日、あの結構わたしねぇ、クレージー好きのお父様がたがいっぱい集まるのかなと思って、そういうお父様方になついて、あのいい調子で行こうと楽しみにしていたら、若い方がたくさんいらっしゃったんで、あの、よかったですねぇ。そのー、先ほども言った通り、2005年から2008年にかけてクレージー結成が、この映画自体がすでに東宝の、立ち上げから35年、東宝35周年記念の映画ですが、えー、クレージー結成から50周年が2005年で、もう私の個人的な話ですけどその年に歌舞伎町に越したばかりなんで、越したころは毎晩見てましたよ。クレージーキャッツのビデオを。
GAMO: ははは。
菊地: その結果いろんなことやってたんですね、あの2005年から今日までの間ってのは。なので今でもあのー本当に簡単に入手出来ますので、あの興味持たれた方。今の目でみると、だれだれとかね。
GAMO: ええ。
菊地: うん。当時、すぐダレたって言われたもの。あの、長すぎるって。でも最近てのは、あの家でTSUTAYAで何本も借りてきて、えー、テレビシリーズ4本くらいまとめてみちゃうてのが一般的な時代なので、この尺でもそんなにつらくないかなっていう。当時テレビでさえ、ドラマは一時間最長、映画館で90分最長っていう、日本人の娯楽の尺感から見ると長すぎたんですね。インド映画とかは当時から長かったんですけど。間に休憩が入って。まあそのクラスだったという感じ、今見るとさほど長くない。
GAMO: あの、今日映画でこうやってあのスクリーンで拝見したら、さらに短く感じました。
菊地: ですよね。
GAMO: ええ。なんかびっくりしました。
菊地: これね、ダレたダレた、ねむいねむい、っていうね、それはね、浅草東宝で朝方みたからじゃないからっていう。ははは。
GAMO: ああ、ははは。
菊地: 話ですけどね。
GAMO: ええ。
菊地: あのー、今普通にDVDでみると、まあさほど長くありませんので。ま、もっとショートにまとまってて、いまのテレビ、アメリカや韓国のテレビドラマなんかみて、面白いな、よくかけてるな、脚本に無駄がないっていうようなエンターテイメント水準でみても、あの、十分いけるって作品。この作品もね、ちょっといい意味でも悪い意味でもご祝儀作品なんで、コレステロールがちょっとたまってんですよね。
GAMO: うーん。
菊地: ブルー・コメッツじゃなくていいじゃないかってね。ハワイ行く必要ねーじゃないかとかね。
GAMO: ハワイそうですよね。
菊地: うん、まあ、ストーリー的には全く行く必要ないですよね。
GAMO: ははは。そうですよね。
菊地: いや、でも浜三枝さんの水着姿がみれんだからいくんだよっていう。
GAMO: 確かに。
菊地: ことなんですよね。だから、まあそういったコレステロールもある、こうちょっと重めのコース料理になってますけど、もっとさっぱりしたのもありますし。あの、ぜひ、ご覧になって頂いて、ま、なにせ私は、GAMOさんも含めてあの、現代のこのコンセプトというか、いうものなんとかしてーなって思ってるメジャーもいるんだと、いうことですね。ま、そのこともふくめて、あのー、クレージーの再見また再発見して頂ければと、えー、いう機会があればと、思いますね。はい。そんな感じで、いいすよね。
GAMO: はい。
菊地: じゃあ、GAMOさんと私はこの後飲みに行くということで。
GAMO: あははは(笑)。
菊地: 本日はどうもありがとうございました。
司会・荒木:菊地成孔さん、GAMOさん、どうもありがとうございました。皆さん、どうぞ拍手でお送りください。
さて、「カルト・ブランシュ」ですが、今年はあと2回行われます。また「PFFぴあフィルムフェスティバル」の本祭も、2階の大ホールで28日まで開催されますので、そちらにも是非御来場ください。
以上をもちまして本日の企画を終了させていただきます。長い時間お付き合いいただき、ありがとうございました。