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第2回 9月24日(土)15:00~18:00
~男と女~
- 上映作品:
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『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』
1985年、森崎東監督
105分・35mm・カラー
ゲスト:河瀨直美(映画監督)
『萌の朱雀』(1997年)でカンヌ国際映画祭新人監督賞を史上最年少受賞。その後も『火垂』(2000年)『沙羅双樹』(2003年)『垂乳女⁄Tarachime』(2006年)などで映画祭での受賞を重ねる。『殯の森』は2007年カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。その後、『七夜待』(2008年)、『玄牝-げんぴん-』(2010年)を監督し、「なら国際映画祭」エグゼクティブディレクターを務めた。新作『朱花の月』は2011年9月公開。
聞き手:木下雄介(映画監督)
1981年東京都生まれ。早稲田大学の映画サークルで自主制作した『鳥籠』(2002年)が第25回ぴあフィルムフェスティバル/PFFアワード2003にて準グランプリと観客賞をダブル受賞。第15回PFFスカラシップの権利を獲得し『水の花』(2005年)で長篇デビューを果たす。
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司会・荒木: 本日はカルト・ブランシュへお越し下さいまして、ありがとうございます。いま2階の大ホールでは「第33回ぴあフィルムフェスティバル」(PFF)を開催しておりまして、私はそのディレクターの荒木啓子と申します。この回のカルト・ブランシュは、PFF事務局が企画を担当致しました。河瀨直美監督が今回のカルト・ブランシュで絶対に上映をしたいと、『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』、この1985年の森崎東監督の作品を選んでくださいました。何故上映をしたいかというと、この回のタイトル「~男と女~」にありますように、河瀨さんが若いときに、今でもまだまだお若いのですけど、若いときに観て非常に印象に残りずっと気になっていたこの作品を、「男と女」をテーマに皆さんにご紹介してみたいと。上映後に河瀨監督をお招きし、木下雄介さんという若い監督を聞き手に、トークを致します。
この木下監督は、PFFで続けております自主制作映画のコンペティション「PFFアワード」で、かれこれ10年前に河瀬監督が最終審査員を引き受けてくださった際に、木下雄介監督の作品を非常に強く推されて、準グランプリを受賞したという経緯があります。木下さんと河瀨さん、お互い作家として同じ何かをこの映画に見たと思えるお二人の対談を企画しました。
今日は土曜日で休日。その午後に数あるイベントの中からこのカルト・ブランシュを選んでお越し下さいまして、本当にありがとうございます。最後までごゆっくりお楽しみください。
--- 映画『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』(1985年)の上映 ---
司会・荒木: では早速ですが、今日のゲストのお二人をご紹介します。まず聞き手が木下雄介監督になります。木下雄介監督どうぞ。
木下: 宜しくお願いします。河瀨さんは僕が2003年にPFFに入賞した時の審査員で、その時にお話をさせて頂いた以来です。8年ぶりになります。
司会・荒木: 木下さん実は緊張していますね。
木下: はい、凄く緊張しています(笑)。
司会・荒木: 8年ぶりに久方ぶりに会うお二人に、この映画を通して新たな会話をしてもらおうという企画です。では木下さん、今日のメインのゲストをご紹介お願い致します。
木下: 河瀨直美監督、お願いします。
河瀨: ありがとうございます、河瀨直美です。
19歳の時に、この作品と出会う
河瀨: 『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』は、私が大阪写真専門学校(現在はビジュアルアーツ専門学校)で学んでいたときに、たしか作品研究という学校の授業で観た作品です。原発のことは当時はそんなに意識していませんでしたが、人が本当に必死に生きている感じがもの凄く出ている、かなり強烈な印象があった作品でした。タワシで足を擦っているようなシーンとかが、印象に残っています。ドサ回りのストリッパーをやっていて、そんなことしてもどうにもならないことをしたり、その中でどうしても惹かれあう二人の、原田芳雄と倍賞美津子の感じとかが、私も当時19歳くらいで観ていて、なんか生々しくてね。もの凄く入ってきて、授業中なのにボロボロ泣いちゃったという記憶があるんですね。「あたし産むよ」とツッパリ姉ちゃんみたいな彼女が最後に言うところでは、若い世代への託された何かを感じたし、バーバラが空を向いて何者かに向かって伝える、そのメッセージみたいなものも突き刺さってくる。凄く辛くて、どうしようもなさが詰まっている映画なんですけど、最後に未来に向かって広がっているような感覚が入ってきて、「それでも生きよう」みたいな感じが当時突き刺さった。
福島第1原発が爆発して大変なことになっていますが、この映画の中で、原発が爆発して何とかしろとなっても、あんま人がいないから、こういうところに建つんだ、みたいなことを言っている。ドサ回りしたり、本当に底辺のところで何とか生きている人たちの物語なんですけど、よくこういうものを描けた。この作品を今日上映するということで、奈良の方で見直したのですけど、全然色褪せない。
男の不器用さ。それを引き受ける女
木下: 「男と女」というテーマを今回頂いたのですけど、今回この映画を選ばれた訳。さっきおっしゃった原田芳雄と倍賞美津子の、どういった男と女の関係なのか。
河瀨: 二人は沖縄のコザで知り合っているんですよね。倍賞美津子演じるバーバラが、抱き合っているときに「会いたいよ」という、あの感じは凄く分かる(笑)。
木下: どういうことなんですか。
河瀨: なんだろうなあ、物理的に触れ合えていたとしても満たされない何かがある。どんなに大変な事情を抱えていたとしても、絶対心の中心にいるということだったりするとは思うんですけど。原田さんが撃たれながら、もうホント死に際に、そういうときに「会いたいよー」と言うじゃないですか、あの辺はもう、なんつうんでしょうね。この監督はああいう世界を本当に、客観的じゃない感覚というか、どっぷり浸かりながら作られていたのかな。凄く生々しいでしょ。どうしようもない男の不器用さを引き受けたバーバラが、鉄砲ぶっ放す。ああいうところとかは、女の人へ託していく男の人の不器用さとかいうのがね。
木下: 「会いたいよ」は確かに凄く残る。肌を重ねているときなのに、そういった別れが何かちらつく。そういう切実な言葉で、実際言われたらどう答えればいいだろうか?
河瀨: 答えられないよね。
木下: 答えられないです。
河瀨: 女としては、言いたくなるときはありますね。男の人どうですか? 抱いていたらもうそれでいいですか?
木下: それでいいということはないですけど。でもまあ、その気持ちはあるけど、出る言葉としては「会っているのやからいいやろう」ということになっちゃうのかな。
河瀨: 私ね、『朱花(はねづ)の月』という作品を作っているんですけど、で主人公は加夜子と拓未。加夜子がね、二人で会っているのに「淋しいねん」と言うんですよ。結構似ているんですけど、そのシーン。まあそのとき別にセックスしているシーンでも何でもないんですけど、二人並んで結構幸せな空間というか、夕日が射しているようなシーンの時に「淋しいねん」と言って、「いま会っているのに何でそんなこというねん」というのは男の人の感情だと言う。拓未は、別にセリフには無かったんですけど「いま会っているのになんやねん」、「自分が足りないのか」。男の人って自分を責めていくでしょ(笑)。
木下: まあ「何だろう?」と思いますよね。
河瀨: (笑)女としては、別に何も責めているわけでも何でもない。
木下: ああ、そうなんですね。
河瀨: (笑)今の自分を分かって欲しい、別にあなたに対してということでもない、単純に疲れているということもあるかもしれない。昨日、長谷川和彦監督と対談して思ったけど、男の人の方がヤンチャで色々やりたいことをやられている分、凄く孤独感があると思うし、そういうときに傍におってくれる女の人とか、母のように支えてくれる人って凄く必要じゃないですか。割りと幸せな出会いをした人は、そこで支えあっているようなお二人を見受ける。構造的にそれって見つけ易いというか。でも女の人がヤンチャやったら、なかなか男の人が、そういう器でもって、何でもいいからヨシヨシみたいな風には出来ないでしょ。
女がヤンチャなら
木下: そうですね、男にやりたいことがある場合、やりたいことは胸の中にあるんですけど、それは周りの状況のなか「こういうことがある中、俺はこれをやるんだ」だったり、「これは正しい」と思う理由は周囲や社会があっての判断だったり、そういうところで動いている気がする。『朱花(はねづ)の月』を拝見させて頂いたんですけど、女の主人公は直感的で、その瞬間その瞬間を生きている。それを待つ男というのが印象的だった。今の話を聞くと、そういうヤンチャな男の人に対する願望なのですかね。でも、二人がそれで幸せかどうかはその映画の中では、はっきりしていない。
河瀨: そうですね。私も自分の実人生の中で常に迷っているというか、感情が浮き沈みしているところがあるかもしれないけど、私の場合は本当にヤンチャに生きているじゃないですか。子供もあり、家のことをやるというのもあるけど、大半は外に出て、外との関係を結びながらやりたいことをやっているといっても過言じゃない。そういう風にしていると疲れちゃうし、やり遂げていても、家に戻ったら母的なものに包まれたいというときは、無条件でヨシヨシしてもらいたいと思うけど。 木下: 無条件でヨシヨシしてくれる男の人というのは、まあでも、いるんじゃないですか。
河瀨: いますか。
木下: 僕ですか?(笑) 無条件にヨシヨシは、逆にあまりよしとしないですね。
河瀨: そうですか。
木下: 映画の作業とか、陰ながら支えてくれていたり。
河瀨: 誰かいるの? 陰ながら支えてくれる人。
木下: 今日はいない(笑)。そういった人は、やっぱり長く続く。一緒にいて同じ喜びだったり、同じ辛さだったりを乗り越えていける人と出会えるのは、凄く幸せなことだと思います。
河瀨: この映画の中のバーバラ(倍賞美津子)と宮里ススム(原田芳雄)がどうなのか分からないけど、抜き差しならないというか、他に代わりがないって感じがあるよね。どの墓に入って、逃げて行くあの二人、アイコ(上原由恵)とかそうなんだけど。もうそこ、生き死にかかって「この人たち結ばれてないともうダメなんだ」という感じ。ああいうのって、ドンドン少なくなっているような気がする。
ぶつかり合えない、熱が持てない
木下: 少なくなっているかもしれないですね。人と繋がりたいという気持ち、分かり合いたいという気持ちというのは、それはもう「男と女」だけじゃなくて、人と人が、根底に凄く孤独で全てを分かり合えないからこそ、分かり合えた瞬間、ちょっとでも他人と通じ合えた瞬間が凄く幸せに思える。それが熱だったりすると思うんです。僕たちは中学生の時とか「女の人ってどんなんだろう」と色々エッチな妄想したり、色々想像した。でも今だとネットがあり、ポルノはいくらでもネットに落ちている。
河瀨: 見えるんですってね。
木下: ガンガン見れちゃいますね。子供の頃にモテない、女と付き合えないというのは負い目だったり恥ずかしいことだったりするけど、例えばネットの掲示板だったら、慰め合いだったり馴れ合いだったり、出会い系で簡単に共通の趣味で出合える場がある。でも逆にネットがあるからこそ、人の知らなくていい情報を知ってしまい格差を感じたり。あとは、知ったふりをしているのに実際は全く知っていないとか、そういった何かまた違った閉塞感もあって、なかなか人が熱をもてない。
河瀨: 分散してしまっているんですよね。「この人しかいない」と思うのは、逆にいえば世界が狭いでしょ。そこしか見えないというところで生きている。でも、こっちも見えている、あっちも見えているだと、感情が分散していくから、ここにばっかり固執しなくてもよくて、代わりが幾らでもあるように思える。家族の中でも「この人たちと繋がっていないと生きていけない」という感じから、「別に家を出ちゃっても何とかなるわ」と、家の外でも割りと簡単に、ある意味豊かさが昔より持てるようになっている。そういう風なものがあるとそこに出てしまうんだけど、実際はもう1回そこの、一番近しい彼女だったり今付き合っている彼氏彼女で、もう一歩突っ込んで感情をぶつけ合ったりすると、乗り越えられる何かがあると思うねんけど。でももう面倒くさくなるというか、別にそれをしなくても「こっち側またあるし」と分散しているでしょ。そうするといっぱい自分の中に持てているように思えて、実はその深みというものが無くなる。それを止めようと思っても、あるから、だからやっぱりそこに行くのが常ですよね。
木下: 僕の弟は10歳下で、あらかじめそういう世界があるから、もうそれは当り前、しょうがないものと思って、今のような疑問を投げかけることも、上から言わないとなかなか無い。
河瀨: 子供がいま7歳で小学校入ったばっかりなんですけど、実感を伴った冒険というか、危険なことを子供たちにはさせない構造になっているんですよ。それをさせようって言っても、1泊2日とか2泊3日とか、日常ではないそういう世界でしか体験出来ない。昔やったら、危ういこととか危険地帯っていっぱいあった。工場のちょっと脇の砂とか溜まっているところとかは、遊び場になっていた。今は完全に入れないようにしているから、自分で危険も察知出来なくなる。自分の人生というか日常を通して、実体験として学んでいく危機感みたいなものが、あらかじめ取り払われているんですね。人との関係性も、じゃあ何々ちゃんと何々ちゃん集まって、このワークショップで仲良くなりましょう、みたいな。
木下: ワークショップですか。
河瀨: まあゆったらね。大人がグループをあらかじめ作って、そこの中で体験を積んでいくみたいな。だから1回おうちに帰っちゃうと、お互いに遊ぶ約束して集まるというのは、結構稀有な存在じゃないかな。あたしの住んでるのは奈良で田舎だから(笑)、地域の人たちが見守っていて、まだ垣根もないというとか、全然いいんですけどね。下手したらホント、お父さんお母さんが、学校から習い事から全部その動線は送り迎えをしていたりすると、なかなか子供たちが道草とか出来ない感じはあるかなあ。「どうなっていってしまうんだろう」と思いつつ、こんなところで話しながら、自分の日常に落とし込むのに、普通の生活の中でね、もっと関係を持てるような。「どうしていけばいいんだろうなあ」というのは常に考えてはいるんですけど。
臆病さと、もがきと
木下: 多摩美術大学で授業を手伝っているのですけど、若い子たちはディスコミュニケーションということを全く考えていないわけじゃなくて、「フリーテーマで短編を撮る」という課題に対して、ほとんどが色々な形でディスコミュニケーションを描いてくる。昔の自主映画のように「何で僕のこと分かってくれないんだー」というのを爆発させた映画というよりは、そういったディスコミュニケーションをある種客観的にとらえて、可笑しみだったり悲しみに昇華出来る作品も中にはあって、何かを感じていると思うんです。痛みを知っているのだったら、そういうものを映画で撮れるのだったら、相手の痛みに気付いてあげられるはずなんだから、もっと人と関わっていこうと話したりする。「このままでいいのかな」というのは、何処かしらにあると思うんです。あってほしいと願うところでもあるんですけど。
河瀨: 昨日対談させて頂いた長谷川和彦監督の世代からいったら、あたしらなんてもうホント甘ちゃんなもの。もっと熱くあった時代の人たちっていうのは、自分以外の他人を自分ごとに巻き込むために「お前こっち向けや!」みたいな感じのことをずっとやっていた感じはあると思うねん。今やったら「この人あっち向いているから、まああたしはこういう考え方だから、そこはいくら話しても立ち入れないね。別にでも嫌いじゃないから」みたいな感じになっているのかな。
木下: 「振り向け!」という、そこの気持ちは凄くあるけど、やっぱり形に出来ないというところなのかな。
河瀨: 「怖いんだ」ということは聞く。面倒ではなく「怖い、出来ない」とか。
木下: 多様性というか、みんな色々な方向を向ける時代というのはあると思うんですね。昔は全共闘とか活動をしていて、「お前は右か左か」という時代。この学生運動に参加しないならお前はダメだという、凄い極論の世界でもあったと思うし、そこに参加している皆が必ずしも熱を持っていたかというと、実はそういう輪とかを凄く心配して、ノリで参加していた人もいると思う。今は凄く多様化というか、色々な道があるからそうなっちゃうというのもある。だけど、やっぱり億劫になっているんだと思います。
河瀨: ある意味無関心に見えるでしょ、関わらないからね。まあ怖かったり、億劫というのはあっても、何でそれさっと帰ってしまうん、何で飲みにいけへんの、と思ったり。飲みに行って結論のない話を延々して、朝までやることに意味がないみたいな思いがあるのかな。意味のない話をずっと延々している、前に向いていってないみたいな。私もやっぱり、上の世代の人が飲みながらワーっとやっているところには行かずに、自分でコツコツとやっているタイプだったので、そういうふうに見られればそうかなあ。
今あたしが40代になって、20代の子たちとか見ていると、礼儀正しいというのも変だけど、「自分とは違う」とか線がちゃんと引かれていてね、全然突っ込んでこない。あたしがいつも常に正しいことを言っているわけじゃない、ただ自分の意見を言っているんだけれども、そこに対して「そうですね」ということしかない。何か関係持てないんだな、淋しくなるっていうか。そういうふうにすることで、作業としても仕事でも、ここに行きたいのに、そこまで行っていないところで止まっていることが、凄く多いんですよね。「自分の役割はこうです、ここにしかないです」と思ったら、そのことしかやってない。例えば映画作りの中で、「この映画の何のために、私は動いているんだろう」ということを、あんまり考えてないように思えるというか。ただ車を右から左に「あっちに動かしとこう」というだけだったりする。「それは何のためにそうなっているんだろう」ということを考えてないのかな。自分の映画という感じが見えないのかな、増えてきているのかな。役割分担は出来ているんですけどね。だから言えばやるんだけど、何の文句も言わずにやるんだけど、それが何のためにやっているかまでは、考えなくてもよくなる。
惨事報道の洪水。そして3分11秒の取り組み
木下: やっぱり今の社会だと、想像力は欠如していると思います。3・11のあと、喧々囂々、学者だったり、政治家だったり、原発を呼んだ社長が東京電力に怒っていたり、それぞれの立場で言いたいこと、エゴとかがあるじゃないですか。もちろん僕ら含めて人それぞれの立場とか状況とか環境がある。だけど、他人も同じように人間らしく生きようとしている、根っこがあるという想像力が欠如していて、みんながあーだこーだ言っているということになっていると思うんですよね。
河瀨: そうね、バーバラ(倍賞美津子)や宮里ススム(原田芳雄)とかは、もの凄く不器用で、社会では何にもならない人たちかもしれないんですけど、たぶん人のことを凄く考えている。「この人が何をしたいと思っているか」をね、割と人間的に真っ当なところを、不器用でも、命をかけて守っているような感じはするよね。そういう風な男らしいていうか、人間らしいていうか、そういう人が、新聞とかで出て来るような立場をもって答えている人の中には少なくなっているのかもしれない。
一連の報道とか見ていると、見受けられてしまいますよね。言って良いことと悪いことをちゃんと考えていて、言っていいことしか、差し障りないことしか言えない。もし言って悪いことにちょっとでもかすってしまうと、そこだけをチョイスして、足を引っ張るように書き連ねるじゃないですか。みんなが足を引っ張り合って、人のことを考えない。そういうリスクを背負うから「そういう場では言わないでおこう」という風潮にどんどんなっていくと思う。みんな感じていると思うけど。その人が本来言わんとしている翻意をくみ取るようにしていかないと。
木下: 福島に生きていて、家も仕事も失った人の声が、テレビから伝わってこない。黙殺されちゃっている。
河瀨: ニュースとかだとね、取材陣が入っていける範囲の取材と、誰かが悪いことを言ってそうなものを見つけて書いて、それでもう全部になってしまっている。見えないことの方が真実に凄く近いと思うんやけど。もう新聞読むのが嫌になるような感じっていうのは、あたしはある。かつ、関西にいるから、報道が東京から来るというか、そっちの方の感覚というのをなかなか受けづらい。
木下: それは東京に居ても同じかもしれないですね。3・11という大きな事件の後だけど、本当に日常というのはやって来る。やっぱり、ビックリしました。そういったなか、河瀨さんは3分11秒の短編映画を名立たる監督たちと一緒に撮った。それはどういった思いで?
注) 仙台短編映画祭事務局が2011年4月に、「明日(あした)」をテーマにした3分11秒の短編製作を呼びかけたことが発端。河瀨直美監督も力を尽くし、世界中のさまざまな映像作家が、東日本大震災にちなんで撮った3分11秒の短編映像を、2011年9月11日(日)に金峯山寺(奈良県吉野郡吉野町)に奉納上映。その後、各地で上映。
河瀨: 思いね。思いわね、単純に何かが繋がって、形になっていった。カンヌに『朱花(はねづ)の月』の出品が決まったときに、仙台に了承を得て依頼を受けていた3分11秒の企画の話を、世界に広げていける時期なんだろうなあと。それで作品を集めたいと思って、色々な監督たちの窓口にならせてもらった。「なら国際映画祭」もやっているので、そこでハンドリングさせてもらえたらって言って。仙台は自分たちでそういうことが出来ないから、やってもらえたら、誰がどうこうやるじゃなくて、これは日本で起こった惨事から始まっているものだから、自分たちの思いで持ってやればいいって言われて、それでお話を色々重ねてきた。それで奉納上映という形で吉野で出来た。
ビクトル・エリセさん(Víctor Erice、スペイン)は9月11日に奈良に来てくれた。エリセさんの作品はもの凄くダイレクトで、福島の原発と広島の原爆投下のことと、いま専ら報道されている惨事の様子というのが、もう「陳腐だ」と言ってらっしゃるんですね。
あたしたちはテーマを『ホーム』というものに置いた。人類にとっての故郷というのは地球だ、だから地球というものを故郷と思うのであれば、国境は関係ない。皆さんにインタビューしてみると、皆同じで、「いま自分たちがやらなきゃいけないことは、これだ」、そういうメッセージをもの凄くダイレクトに、くださったんですね。アピチャートポン・ウィーラセータクン(Apichatpong Weerasethakul、タイ)も、ジャ・ジャンクー(賈樟柯、中国)も、国境とか関係ないし、日本の事は他人事じゃないからって。作家は本当にこのタイミングで手を繋いで、地球という中に生きている人類というものを考えなければいけないし、そういうメッセージを発するような作品が出来るなら作っていきたいし。
エリセさんが言っていた「陳腐だ」というのはね、被災地の瓦礫とかそういう映像クリップを集めて、そこに悲しげな音楽を乗せて悲しみをあおっている。海外でも連日報道されていて。
木下: 海外のニュースが。
河瀨: うん、そうです。本当の悲しみを見ない、本当の悲しみを伝えることを恐れているようだって。瓦礫じゃなくてね、凄く厳しいものかもしれないけど、実際に大切な人が亡くなっている。人が死んでいく様みたいなものは、もの凄い状態で起こったわけですよね。報道規制なのか分からないですけど、それが一切報道されてない。そうすると人間の行き死にが、まるでビデオクリップの中のもののように見えてしまうと思うんですね。そうじゃなくて、痛みを伴ったことが起こっている。だから作家はその痛みを自分ごとにしてね、怖がってはいけない、何かを発信していかなきゃいけない。
タイとか行くと、交通事故とか、亡くなっている人の遺体とかもバンって出ちゃうんですよね。日本はいつの間にかそういうものが無くなってしまって、死というものが、どこかブラウン管の中のドラマの中の出来事みたいな風になってる。身近な人が亡くなったり病気になったりという場面では自分ごとになるんだけど、他人というもののそこを痛めないっていう感覚は、もしかしたら作り手がその危うさを引き受けられない、どこかで逃げている部分があるかもしれない。
愛し過ぎる狂気
河瀨: この作品は、もの凄く痛いとは思うけど、私は10代に授業中に観て涙が止まらなくなった。原発の感じが本当か嘘かは別にして、廃液の中に浸かっちゃって、ドロドロと腐っていくものをタワシでこすり取っているあの感じは、言い表しようがないんだけど、痛みましたね。
男と女の話ってことだけど、私が当時観ていた作品でいうと『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』(ジャン=ジャック・ベネックス監督、1986年)とか、いたーいでしょ? 「この人でしかダメなんだ」と、自分の目を抉ったりしちゃうわけだから、本当に狂っていく感じ。あれを私は10代の頃に観て、先生がいて学生がいる講評の時に「このベティの気持ち、もの凄く分かる」と言ったんですよね。女の方がもしかしたらそういう感覚が早く成熟するのかもしれないけども、同級生の男の子からは凄く恐ろしがられた。男の子は恋愛に関しては理想が凄くあるでしょ。今から20何年前だしね、10代でまだセックスとか体験出来てない子は多かったと思う。どっかで観たポルノなり、恋愛の理想みたいのがあって、女の人は母的な神的なもので自分を包んでくれて、快感というか快楽がそこにあると思っている。そういう時に、愛し過ぎるとあんな風になってしまうとなると、怖いですよね。でも本当はそのくらい行くのが、人の唯一無二みたいなところの感覚かもねと思う。
木下: あの映画、怖いですけど、男がそれでもやっぱり付き添っていく様が描かれる。この男の人はベティを離すことが出来ないんだ、というのも凄く描かれている。
河瀨: 今だと「狂っている」で終わりかもしれないね。「めんどくせえ」みたいな感じになるかもしれない。
木下: そういった人と出会ってない、というのはあると思うんですよね。
河瀨: 阿部定事件を描いた『愛のコリーダ』(大島渚監督、1976年)。あれも日本で1936年に起こった本当の事件。うちのおばあちゃん96歳ですけど、当時のこととか知っていて、割と羨ましそうに話していましたけどね。
木下: 羨ましそうに?
河瀨: 羨ましそうにというか、「いやあ、こういうことあった。知ってる知ってる」、「男の人の切ってな、持って歩いてはってんでー」みたいな(笑)。でもそこまで本当に持っておきたいと溺れてしまうって理想じゃない? 人間のなかに一度はそういうことになってみたい感というのは、あるんですかね。
木下: そうですね、あるんだとは思います(笑)。
河瀨: 私、ホント原田さん、亡くなられましたけど、最後まで本当に役者というか、もの凄くかっこいいなと思って。この作品の原田さんは最高ですね。
木下: どの映画に出ても、原田さんが原田芳雄として存在感を持っている。この映画も、森崎東監督のインタビューを見ていくと、当初の構想では原発ジプシー(原発作業員)が立て籠もる話だったけど、結局中学生が立て籠もる話になった。そこで人質になる野呂教諭役は、最初は原田さんだったけど、「自分は先生役は出来ない」ということで平田満さんになった。そういう風に、森崎東監督の脚本もどんどん原田さんのキャラクターに引っ張られていって、アウトローの中のヒーローというか、そういう役になっていったのだと思います。とにかくカッコいいですね。
河瀨: 現実にいたら面倒臭くて大変かもしれないけど、愛されるとトコトン命をかけて愛してくれるんだろうな。他の女の人は分からないけど、私はそこまで愛してくれるんだったら自分も命をかけて愛したいと思うし、どんなことがあっても離れないと思うし、自分も引き受けて生きていくだろうなと思える。不器用だけど、そういう姿がそこにある。
木下: そういう感情みたいなものが、ぶつかり合っている。
社会を、構造ではなく人間で描く
河瀨: ヤクザから足抜けとかやっていますけど、ああいうヤクザさんは今いるんですかね?
木下: 僕の知り合いのサッシ業者の人が福島に行ったら、ヤクザを通さないとここでは仕事が出来ないと。お金を途中で抜いている構造は、今もやっぱりあると思います。
河瀨: そう考えると、1983年のこの映画の時代から。
木下: 公開は1985年です。
河瀨: 1983年と書いてあるシーンがあったような気がするんやけど、撮っている時が1983年かなあ。そうすると今から30年近く前に、そういう構造を凄くリアルに描いていて、それが本当なんだとしたら、今は凄く守られた社会になった。もちろん「そんなこと言ったらあかんやんか」と、誰かの足を引っ張って落とすこともあるけど、「悪いことは悪い」「その立場でそれを言ったらダメだろ」と新聞の1面にバンって書く時代になったんだなあ。昔はそういう事がアチコチで言われていて、弱者は完全に弱者で、力を持てばその力はずっと力になっていたと思うんです。「第3の目」がちゃんと監視している的なね。それが窮屈かどうなのかは皆が判断していくんだろうなとは思いますけどね。
木下: ここで描かれている弱者は、例えば労働者相手に性を売りにしているダンサーの女だったり、ヤクザの子分みたいなことをしている主人公だったり。労働者も、サイレンが鳴って「水が出た!」と言われたら、あまり疑問を持たずにまた行く。ありがちな「弱者 vs 権力」ではなく、社会の縮図を描きながら現代にも通ずる、人間の何かそういったテーマを投げかけている。
河瀨: いずれにしても、こういう状況ではなかなか観られない映画だと思うので、今日はいい機会で観て頂けましたし、お話を展開させて頂いて良かったと思うんです。
ところで、木下さん、今は何をされているんですか。
木下: 今は新しく脚本を書いて、これから製作に向かえるように色々探していこうと思っています。
河瀨: テーマは。
木下: 東京を舞台にした映画を撮りたいと思っています。
河瀨: 私には出来ないから(笑)。
木下: やっぱり、東京で生きているので。東京を描いた映画は、記号的に、凄くオリエンタリズムな目で見られたり、回顧主義的な目で見られたりします。僕は、都市というのは人ありきだと思っているので、東京を描くといっても、東京に実際に生きている人たちをもとに脚本を書いた次第です。
河瀨: 是非頑張って頂きたいと思います。
木下: 頑張りたいと思います。
河瀨: 私は東京は本当に恐ろしいところだと思っていて(笑)、今回は東京に2泊で、今夜1泊したらやっと明日帰れるんです。そういうところを題材にして頂けるというのは、奈良で陰ながら本当に楽しみに待っております。
木下: ありがとうございます。
河瀨: PFFでお会いしたときは22歳で、8mmフィルムでしたっけ。
木下: いえ、あれはDVです。
河瀨: DVか。なんか凄く時が流れた感じはしますが(笑)、でも、またこうして出会えて、私もどこかで撮っていますので、よろしくお願い致します。今日は良いリードをして頂きまして、ありがとうございました。
木下: いえ、こちらこそありがとうございました。
新作『朱花(はねづ)の月』について
司会・荒木: 久方ぶりに邂逅したお二人の話でした。お話しの中に出ました河瀨直美監督の新作『朱花(はねづ)の月』、2週間前に奈良と東京で始まって、いま渋谷のユーロスペースで公開中です。どっぷり奈良の映画で、観ると奈良に住みたくなる。
河瀨: 俳優も撮影の2か月ほど前から現地に暮らして撮影した映画です。彼らが奈良を故郷だと実感する、それほど俳優が入り込む、そんな手法で今回も撮りました。
大和三山(天香久山、畝傍山、耳成山)をテーマにしていて、「あの地には神様がいる」という感覚を、どれだけ映画の中に入れられるか。ストーリーの説明を出来るだけ抑え込むことに挑戦したので、色々な意味で皆さんがどう思われるか、ドキドキワクワク楽しみだったんです。「その感覚が伝わりますね」と言って頂くときは凄く嬉しいです。
そして、「奈良に来たい」と思ってもらえるのは自分にとって嬉しいですね。地方の田舎の古い街でしかないところ、という認識の中で、地元の人たちがそこを誇りに思えなくなる。常に中央に集中している情報化社会の中だと、「外に出なきゃ何も出来ない」と思うんだけど、田舎は田舎で、無い物ねだりをしている時代から、今はある物探しをし始めていて、伝統工芸とか土地の美しさを見直して、そこで生きていくことを誇りに思う。それがイコール子供たちへ、未来の何かを橋渡していくことにつながるのかなと思う。
40代になって作ったこの『朱花(はねづ)の月』で、20代にはあんまり感じてなかったそういうことを、より具体的に意識しながら、けれどきちんと物語を構築するために、大変苦労した作品ではあります。
河瀨映画の様々な女優たち
河瀨: 『朱花(はねづ)の月』を上映しているユーロスペースの下のオーディトリアム渋谷で、今日から私の回顧展「河瀨直美レトロスペクティブ2011」が始まっています。私の初の劇映画は『萌の朱雀』(1997年、85分)なんですけど、映画を撮り始めたのは1988年で、その時の8mmフィルムの5分の作品なども今回上映しています。
『萌の朱雀』には、尾野真千子ちゃんという当時奈良県の村の中学生だった子が出ているのですが、15年経って、彼女はこの10月からNHKの朝の連続テレビ小説「カーネーション」のヒロインになる。そういう風にコツコツとやってきた彼女の1番最初の作品なんかも、じっくりと観て頂きたい。
自分で言うのも何なのですけど、十何年前の作品が全く色褪せない光を放っていると思う。西吉野の山あいの緑の感じとかは、凄く好きです。たむらまさき(田村正毅)さんのカメラワークが絶品だなあと、いま見直してみても思います。音の付け方ももの凄く丁寧にやっていますし、是非フィルムで見直して頂ければと。宣伝でした(笑)。
司会・荒木: 尾野真千子さんといえば、NHKの連ドラの主役の抜擢も凄いと思うんですが、原田芳雄さんの遺作となった「火の魚」、NHK広島テレビが2009年に作った長編テレビドラマに出演されています。これはもしかしたら原田さんの最高傑作の1本なのではないかという素晴らしいテレビドラマで、追悼でNHKが時々放映していますので、是非皆さん観て頂きたい。このドラマは原田さんのテレビでの最後の仕事で、偏屈な小説家が瀬戸内海の田舎に住んでいて、そこに原稿を取りに来るこれまた偏屈な編集者という役を尾野真千子さんがやっている。これが素晴らしいんですね。尾野真千子さんが本当に素晴らしくて、河瀨直美は見る目があるなーと(笑)。
河瀨: 是枝裕和監督の作品に出る人は咲くのが早いんですけど、私の作品に出ている子はね、咲くのが遅い(笑)。真千子ちゃんもね本当に良い子で、「目が素晴らしいな」と思って最初に見つけたんですけど、地味な感じで出ているんで、でも深いところに行っている子だなと思う。
中村優子という子も、『火垂』(河瀨直美監督、2000年)で鮮烈なデビューを果たしているんですけど、それこそねストリップダンサー役をデビューでやった。撮影前に、奈良の場末のストリップ小屋で、本当にお客さんがいる前で、役作りのために舞台を踏んでたりとかしていたんですね。
司会・荒木: 踏ませたってことですか? 鬼のような女ですね(笑)。
河瀨: 何でも本気で取り組む、そこから始まっていますからね(笑)。中村優子は『狛-Koma』(河瀨直美監督、2009年)という、なかなか観られない作品にも出ています。奈良県桜井市というところに卑弥呼がいたという伝説があるんですけど、そこらへんにいるちょっと不思議な女の人の役をやっていて、神社の鎮守の森で能を舞うんですけどね。このシーンも素晴らしいシーンです。ちょっと女優さん特集みたい感じなので、「河瀨直美レトロスペクティブ2011」ぜひ観てもらって。
『朱花(はねづ)の月』はあと何週間かやっているかと思いますが、そこには大島葉子という女優が出ています。その大島葉子の俳優デビュー作になったと思うんですけど、半分ドキュメンタリー半分フィクションという私の短編『Shadow / 影』(2004年)に出ていまして、そういう俳優さんの切り口で観てもらうのもいいかなと思います。
司会・荒木: 木下さんも、このように自分の作品を語れるようになるように、早くね。
木下: 頑張ります。
司会・荒木: という2人の話でしたが、最後に『朱花(はねづ)の月』の予告編を上映して終了させて頂きます。今日は長時間ありがとうございました。