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第3回 7月24日(土)16:00~19:20
~演出とは? 俳優を見つめるとは~
- 上映作品:
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『翔んだカップル』(1980年、相米慎二監督) 121分・35mm・カラー
先生と教え子という関係でもある諏訪敦彦監督と吉田光希監督は、俳優・演出という永遠のテーマに向き合います。
本映画は、相米慎二監督の初監督作品でもあります。
ゲスト:諏訪敦彦(映画監督)
助監督として活躍しつつ、1984年『はなされるGANG』でぴあフィルムフェスティバルに入選。1997年『2/デュオ』で長篇監督デビュー。『M/OTHER』(1999年)でカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞。『H story』(2001年)ではアラン・レネ監督作『二十四時間の情事』をリメイク。『不完全なふたり』(2005年)でロカルノ国際映画祭審査員特別賞を受賞。第59回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門オープニング上映のオムニバス映画『パリ、ジュテーム』(2006年)に唯一の日本人監督として参加。2009年『ユキとニナ』で、カンヌ国際映画祭「監督週間」に参加。母校である東京造形大学の学長も務める。
聞き手:吉田光希(映画監督)
東京造形大学在学中より塚本晋也監督作品を中心に映画製作現場に参加。美術助手、照明助手、助監督などを体験する。卒業後、製作プロダクションにて、CMやPVの制作をする傍ら、4作目の自主制作映画『症例X』で2008年にぴあフィルムフェスティバル(PFF)の審査員特別賞を受賞。同作は引き続きロカルノ国際映画祭、ウィーン国際映画祭、ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭などに招待される。劇場デビュー長篇となる第20回PFFスカラシップ作品『家族X』が7月29日に第32回PFFでプレミア上映される。
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司会・荒木: 本日の司会進行の、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)ディレクターの荒木啓子と申します。「カルト・ブランシュ」第3回に登壇していただきますのは、諏訪敦彦監督と吉田光希監督です。お二人は東京造形大学の教授(学長)と教え子という関係でもあります。
では早速お二人をお呼びして、まずはこの作品を選んだ経緯などについて簡単に説明して頂けたらと思います。諏訪敦彦監督、吉田光希監督どうぞ。
【両監督の挨拶と、上映作品の説明】
吉田: 吉田光希です。本日はどうぞ宜しくお願い致します。今日上映する映画と対談内容についてですが、最初に僕の方から「俳優さんについての話がしたい」と諏訪さんに言いました。というのは、直前までスカラシップで映画作りをさせていただいて(第20回PFFスカラシップ作品『家族X』)、ちょうどまさしく映画の現場を体験してきたばかりのタイミングで、この企画のお話しをいただいた。
自分が監督という立場で「俳優さんに対して何が出来たのだろう」と疑問を抱いたままでいた状態があったので、ちょうど何かそういう「俳優さんについてのお話を」と諏訪敦彦監督に言ったのです。
諏訪: 諏訪敦彦です。宜しくお願いします。僕が日本映画の中から何か選ぶという時に、最初に浮かんでくるのが相米慎二さんと、神代辰巳さんなんですね。自分が東京に出て来て、同時代的に映画を見てというか、その時映画を撮っていた人というと、僕にとってはこの2人。もちろん過去には沢山の監督たちがいるわけなんですが、この2人はとても重要だった。お2人には共通しているところがあって、俳優の問題というのが凄く大きい。この2人の現場に関わった俳優さんは、必ずその人の映画に「また出たい」と言う。その時の体験が非常に重要だという俳優さんが多いのが、この2人なんです。そういう監督が最近いなくなっている、この2人以降あんまり出てないような気がします。この2人は、「俳優と何をやるか」ということで映画を革新していった、そういう2人だったと思います。それで神代辰巳さんもいいのですけど、神代辰巳さんも作品によっては色々ありますので、東京国立近代美術館フィルムセンターの所蔵作品の中で、やっぱり相米慎二さんの作品をもう1回見てみようかなと。
吉田: 最初、『翔んだカップル』(1980年)ではなく、『台風クラブ』(1985年)にしようかという話が出ましたよね。
諏訪: でもやっぱり『翔んだカップル』は相米さんのデビュー作だから。吉田君もデビュー作を撮ったばかりだし、デビュー作つながりということで。
吉田: この作品は相米慎二監督が32歳の時に撮られていて、僕がいま30歳なので、ほぼ同年齢の時の初めての長編映画です。相米慎二監督が何を出来たのだろうということを凄く見たかったので、『翔んだカップル』がいいんじゃないかなという話になった。
諏訪: 『台風クラブ』は、僕にとって相米さんとの最初の出会いだった。『翔んだカップル』という相米さんのスタートの映画は、その時には気付かなかった作品だった。見てはいたと思うけど、公開された時は単なるアイドル映画だという風に思っていたし、相米さんという人が重要な人だという認識もなかったので、もう一度これを見てみたかったというのがあったんです。
吉田: たまたまですが、この作品は1980年という僕が生まれた年の作品です。インターネットで調べたら、公開日も1980年の7月26日なんですよ。ちょうど30年前の明後日という。良いタイミングで上映出来て良かったな、と。
諏訪: この映画の公開のとき、僕は20歳ですよ。日本映画はあんまり見てなくて、自主映画でドロドロになって助監督をやっていた時ですね。
司会・荒木: 山本政志さんとか。
諏訪: ええ。もっと悲惨な現場もありましたよ(笑)。
司会・荒木: 吉田光希監督はその頃に産声を上げられた。今日、お2人が揃ってこの作品をご覧になっていて、どういうお話が展開されるのか凄く楽しみです。今日上映されるのは2時間以上で、公開版とは違うような。
諏訪: そうですね、15分くらい長いんでしたっけ。
吉田: 1980年に公開されたものは確か106分でした。今日上映する長い方のバージョンには、「なんだこれは!?」というようなよく分からないサブタイトルが付いていますんで、見てみてください。
司会・荒木: では早速上映しまして、そのあと休憩をはさまずにそのまま対談に移らせていただきます。お2人とも、後ほど宜しくお願い致します。
--- 映画『翔んだカップル ラブコールHIROKOオリジナル版』の上映 ---
諏訪: 映画見終わって、すぐに話すって初めてかもしれない。
吉田: そうですね。
諏訪: どうでしたか。
吉田: 相米慎二監督と言えば「長回しの名手」みたいに言われていましたが、この作品を初めて観たときは長回しという印象は少なかったですね。ちゃんとカットが作ってあって。
諏訪: この後ですよね。相米さんが「1シーン1ショット」というのにこだわっていったのは。だんだんと「3シーン1カット」とか、そういう風になっていきました。僕は相米さんの現場に付くことはなかったのですが、知り合いが付いたりしていて、話を聞くと「今度は3シーン1カットなんですよ」とか、「クレーン乗り換えて」とか。
吉田: クレーンを3台使った『ションベンライダー』(1983年)の冒頭ですよね。
諏訪: あと『雪の断章 情熱』(1985年)の伝説的な冒頭も。そういうエピソードがだんだん出てきたけど、この頃は多分「1シーン1ショット」ありきではなかったはずです。
【起点としての相米慎二作品。80年代の記憶】
諏訪: 今見ていて思ったけど、僕の映画も吉田君の映画も明らかに「この映画と関係しているんだ」と思いました。この映画が1980年に出現してきた。もちろんその前に神代辰巳さんの映画もあるんですが、神代辰巳さんも相米さんも撮影所で助監督やっていますが、1980年代がどういう状況だったかというのをご存じでない方もいますよね。僕たちが映画をストリートで撮り始めた時期が79年なのですが、1980年に『狂い咲きサンダーロード』(石井聰亙監督)が出てくる。この映画には僕は関わっていないんだけど、インディペンデント映画というのが1979年から80年、81年とかのあたりにワっと出てきた。その一方で、後で話す撮影所で起きていたことがあり、どうしてこう関係していると改めて思ったかと言うと、この映画は単純なエピソードの映画じゃない。
吉田: 映画は主人公の2人をただじっと見つめているんですよね。最初は高校1年生の設定で始まるけど、見ているうちにそれを忘れてしまう。結局、相米慎二監督は男女の関係を自分なりに誠実に、色んな縛りの中でも一生懸命実現しようとしたのかな、と感じました。最後にホワイトアウトするところなんかロマンポルノみたいですし、僕にはだんだん夫婦のように見えてきた。
諏訪: あれは夫婦を演じさせていると思いますよ。明らかに「お茶の間」という設定で、田代勇介(鶴見辰吾)と山葉圭(薬師丸ひろ子)が会話する。部屋に登場する時に、狭いところからタオル持ってこう入ってくるじゃないですか。ああいう芝居を引き出しちゃうんだけど、あれは明らかに夫婦のムードを出させている。家族というものが決定的に破壊されていて、しかしそれを演じ直すことで再生を、再生と言えるのか分からないけど、それをままごとみたいに演じ直している。そういうイメージが相米さんにもあると思う。「これは夫婦なんだよ」という。
吉田:家の中で2人が話していることも完全に高校1年生の会話じゃないですよね。最初の設定よりも、何かそういう男女の関係というものがだんだん見えてきたというのが僕の感想でした。
諏訪: 相米さんが「男女を描こう」という意識だったかは分からないんだけど、あそこで何かが生成してくる、何かが生起してくる、芝居が成り立つ、みたいなところが相米さんにはあって、それを見るために必然的に回していくしかないというか。そこで、「これじゃダメだ。もうちょっとこうなれば、これは映画として自分が言いたいものが現れる」みたいな瞬間を待っているという気がする。それはエピソードとは関係がない。『翔んだカップル』には原作がありますが、「これを映画にしなさい」と初めて監督やるときに言われたらですよ、これ脚本家の丸山昇一さんも良いお仕事されたと思うけど、もっとボクシング部がどうなってとか、エピソードで描いていって、エピソードの為のシーンを撮っていって、簡単に言えば絵解きになってしまうはず。その頃の日本映画ってそういうのが多かった。つまり画があって、画のために何かが配されていて、そこで必要なものが撮影されるみたいな。助監督やっていても、やっぱり画なんだよ。画を作って、そこに人を配して照明をあてて、「はい本番行くよ、よーいスタート」みたいな感じでそのまま芝居を撮っていく。そんなことは凄くつまらないと思っていた時に、相米さんの映画がポンと出てきた。「エピソードを見るのが映画じゃないでしょ」というのが、こうはっきり見えてきたというか、日本映画の中にはっきり現れたという感じがしたんだよね。吉田くんの映画も、エピソードを描いてないじゃないですか。
吉田: うん、そうなのかもしれません。
諏訪: もっと違う何か。時間の中で蓄積していくものとか、そこで変化していくものとか、それを見ようとしていると思うんですね。
吉田: そうですね。映画を撮り始めた頃は、自分で脚本を書いて、その映像はやっぱり頭に浮かんでいるので、それを一生懸命再現しようと頑張って撮るんですよ。
諏訪: 覚えていますよ。2002年に東京造形大に着任して1~2年目くらいの時に、最初の1年生だったんですけど、「これ作ったので見てください」と渡されたのが短編映画だったんですけど、非常に良く出来た映画で、まあホラーですかね。
吉田: そう、ホラーですね。男1人しか出てこない。
諏訪: ビデオを使った、わりとそういう映画が流行っていた時だった。それをかなり上手くやっていた。その映画は、そういう意味ではエピソードで作った映画だったと思うんだけど、『症例X』とか、新作の『家族X』はまだ見ていませんが、脚本を読んだ段階ではやっぱりそういうエピソードの映画じゃないよね。何かが起きる、エピソードとして起きることが大事な映画じゃなく、それを語ることが大事じゃなくて、何かを見せること、その関係を見せることであったりとか、そういうことが重要なわけでしょ。
吉田: 自分の頭の中に浮かんだ画面、いわゆる画ですよね。それを頑張って撮ってそれを映画にする面白さよりも、「想像出来なかったことを見たい」ということが、だんだん面白くなってきたんです。自主映画でもやっていたんですけど、今回スカラシップという自主映画とはまた違う規模での撮影だったので、スタッフの皆さんにも色々大変な思いをさせたと思うんです。
諏訪: 相米組ほどではないよ。相米組は大変だと思うよ。やっぱり、この現場は大変でしょうね。
吉田: そうでしょうね。僕はアイドル映画が当時どういう存在としてあったのかよく分からない。
薬師丸ひろ子さんというのはやっぱりアイドルで、「アイドル映画」という認識だったのですか。
諏訪: どうですかね。東宝の企画された映画だったし、公開された時にほとんど関心がなかったので僕は覚えていない。相米さんが誰かもその時は知らなかったし。でも『セーラー服と機関銃』(1981年)とか『翔んだカップル』の噂とか、そのことの評価というのは伝わってきた。「これは非常に面白い」というのはすぐに伝わってきたんですけど、最初は関心持っていたわけじゃないです。『野性の証明』(佐藤純彌監督、1978年)で薬師丸ひろ子さんがデビューした時は、何かイメージとして印象に残った、あるショックみたいなのはありました。だけど『翔んだカップル』がどういう映画かというのは、後からだんだん分かってきた。
例えば僕たちは、リアリズムってちょっと囚われるというのがあるじゃないですか。これは30年前の映画で、その後30年の時間が経って現在というものがあるんだけど、恐らくこの30年前の映画に、ある日本映画におけるリアリズムの革新というのがあって、それは例えば北野武さんとかもそうなんだけど、「もっとリアルってなんだ」というのが更新されていったというのがある。吉田君の映画も僕の映画も、半ばあるリアリズムに関係していると思うんだけど、やっぱり相米さんのやろうとしていることは全然それとは違う。長回しである関係を見つめようとするんだけど、「決してリアルである必要はない」というのがある。何かファンタスティックなんですよね。
例えば小さいことなんだけど、山葉圭(薬師丸ひろ子)が家を出て行って、誰もいなくなった部屋に1人で入って「いなくなった」ということを感じるワンショットがあるじゃないですか。あれってカット頭は棚から出てくる。こうやって棚にハマっている。ああいうのは多分「何かやれ!」というので出てくるんだよね。「じゃあやってみろよ」と言って、やったら「つまんねえな」と言って、「もう一回やれ」。そうやっていくうちに「じゃあ、ここに入っちゃおうかな」と役者が棚の中に入っちゃう。そういうことって別にリアリズムを追求している訳じゃなくて、簡単に言えば面白ければいいんだよね。面白いというのは、俳優たちが作り上げていく関係の中で「何か面白いんじゃないかな」というところを掴めばOKみたいな。だから決して相米さん自身が「ああしろこうしろ」とは言わないし、もちろん心理なんか関係ない。どういう気持ちだからとか何故なのかとか、相米さんは全然説明しないらしいです。「ダメ」と言うだけ。「じゃあ、どうしたらいいんですか」と聞くと、「そんなの自分で考えろ」。俳優はとにかく自分で考えるしかない。神代辰巳さんもそういう人だったみたいですよ。
吉田: デートするシーンでも、突然路上で落語を始めますよね(笑)。
諏訪: 凄いよね(笑)。
吉田: 冒頭から20分後くらいに出てくる「逆さ立ち小便」のショットも。あれも何なんだろうと思いますよね。32歳の新人監督ですよね。現場で「監督、どう撮りましょう?」、「じゃあ逆さで」。
あれはキャメラマンじゃなくて監督が指示していますよね。ああいうシーンをどうやって説得して撮ったのだろうと思うんですよ。そこが何か、相米慎二監督が最初に実現出来たことの1つのような気がして。凄く突発的だけど残る。あのよく分からないショットとか。
諏訪: あれを編集で残しているわけですからね。
吉田: 公開時の短いバージョンではどこがカットされたのか調べてみたら、田代勇介(鶴見辰吾)がランニングしていて山葉圭(薬師丸ひろ子)が近づいてきて「死ねば?」と言うシーン。どうやらあそこがカットされているみたいです。ちょっとゾっとしますけどね。「えっ?」という感じで。
諏訪: あそこ良かったですよね。
吉田: 良いですよね、何か不気味でした。
諏訪: あの「逆さ立ち小便」はさすがに当時も言われていましたね。「分からん」というか。
吉田: あそこは「どう撮ったのかな?」と最初に見て思ったんですけど。
諏訪: まあでも相米さん自身は助監督をやってきているし、スタッフワークが分かっている人だよね。その中で「こういうことやろう」とか「ああしよう」と、何かこうスタッフたちに対して今までのやり方ではないやり方で何か面白いことを提案する。そういう感じを僕は受けた。スタッフとかから話を聞いたら、やっぱり相米さんて1ショット1ショットが大変なショットになってくる。『翔んだカップル』だとそういう印象はないかもしれないですけど、仕掛けも入ってきたりするので1ショットでやると本当に大変なことになる。でも逆にいうとスタッフはこの1カットにだけ集中すればいい。大変な準備をするんだけど、1回OKになればその日の撮影は終わり。普通は1ショット撮った後に、もう1回カバーショットを撮ったり、アップや抜きのカットとかを撮るじゃない。それがないと繋がらない。だから10分とか15分とか回してそのテイクOKになった場合、「どう編集するんだ」となってくる。普通はカバーショットとか抜きのカットとか、あと実景を撮っておいたりとかする。
【編集のための撮影はしない】
吉田: 諏訪さんはどうでした?カバーショットとか撮っていましたか。
諏訪: やりたくないんですよね。
吉田: 僕はやらなかったです。だから編集は本当に大変でした。
諏訪: 何で撮らないかというと、そういうのを撮るのがつまんないんですよ。例えば『2/デュオ』(1997年)という映画を撮った時も、普通はアパートの全景とか外観とかを撮るわけですよ。『キャッチボール屋』という映画で2005年にデビューした大崎章君が助監督だったんですけど、大崎君に「外観ぐらい撮っておく?」と言ったら「いや、そういう映画じゃありません」とキッパリ言われて、編集の為にカバーするようなショットは撮らない。それはつまらない。結構大変なんだよね、外観とか小物とかを抜きのショットで撮るのは。スケジュールの最後に回ってくるし。簡単なショットでも結構時間かかるし、そういうショットを現場で撮るのはつまらないからやりたくない。後で困るのは分かっているわけですよ、そういうショットが無いと繋がらないから。でも繋がらないとなった時に、初めて自分が思っていたものとは違う編集をしなきゃならなくなる。
吉田: 僕も「こんなに困るとは!」と思うくらい大変な編集になってしまいました。
しかも現場では脚本のお芝居を変えていっていた。現場で俳優さんが「ちょっと違うかもしれない」と言うことは「じゃあ、やめましょう。」と素直にやめちゃったんですよ。現場に抵抗しないことが目標だったので。
諏訪: 例えば俳優が「脚本にはこう書いてあるけど、これは違うんじゃないか」とか、「こう出来ないですか」とかかな。
吉田: 「ここでは違うかな」となった時に、そのシーンをそれなしで考えてみる。それで撮るんですけど、そのシーンに関係しているまた別のシーンがあるわけで、今度はそこも変えなきゃいけなくなって「どうしよう…?」となりました。でも撮るんですよ、やっぱり時間とか、撮り切らなきゃいけないというのもあるんで。どうにか撮るけど編集で困りましたね。
諏訪: 長さはどうだったんですか。結構長回しだったんですか。
吉田: 長回ししかしていないような気がします。だから長回しを切って繋いでいく編集になりました。
諏訪: じゃあ最初繋いだ時は、時間が相当長くなった?
吉田: そうですね。最終的には89分の映画なんですが最初は2時間を超えていました。
諏訪: 『翔んだカップル』も、長谷川和彦さんとのインタビューがあったのでちょっと読んだら、
対談した時はまだ完成していなくて編集段階だったけど、その時「3時間5分」と言っていました。
吉田: それは長いですね。
諏訪: 3時間5分になっちゃっているわけですよ。恐らく撮っている最中に半ば予測はついていたと思う。ああいう撮り方していれば長くなるのは当然なんですね。時間を撮っている訳で、その時間が問題なわけで。僕も長くなるんです。
吉田: 間がありますよね。諏訪さんの作品には。
諏訪: 最近は50シーン以上は書かないようにしているんですよ。普通は大体100超えるでしょ。
吉田: そうですね。僕の映画も脚本では113シーンありましたけど「3シーンが一連」みたいな状況になっていたので、実質的には減っていると思うんですけど。
諏訪: 途中で分かったんですよ。40~50くらいのシーンが自分にとっては一番いい。そうしないと最初の編集の段階で3時間、4時間、5時間みたいになっちゃうんですよね。『M/OTHER』(1999年、147分)は、ファーストエディットは4時間以上ありました。大体3時間超えちゃうという感じがしましたね。「どうするんだ、これを」と困った。出来るだけシーンを減らしてもそうなってしまう。
吉田: 諏訪監督は、初監督作品の『2/デュオ』(1997年、95分)で、撮影初日の1カット目を延々と撮り続けたと以前に聞いたんですが、どこのシーンだったのですか。
諏訪: ご覧になっていない方もいるかもしれないですが、西島秀俊と柳愛里が朝のシーンで「昨日こんな夢見てさぁ」というところから柳が出かけるまでの1カットですね。最初は、部屋の中に撮影のたむらまさき(田村正毅)さんが移動車かなんかを引いたような気がするんですよ。でも即興だから、どうなるか分かんないから「もう移動車いらねえ、もう返していい」みたいになって、移動車も返しちゃった。レンズも3本借りたけど「レンズは1本でいい」となって2本返しちゃって。朝からそのシーンをずっと撮っている。で一応カットと言った。でもみんなこっち見るわけね、「それOKですか、どうですか?」ということでしょ。僕分かんないんですよ。OKかNGか。「何がOKなんだろう」。だって脚本がないし、俳優がその場で即興でやっている。だから台詞を間違えたとか、何かが上手くいかなかったとかないわけでしょ。基本的に何をやっても良いわけだから。西島秀俊君も終わってから僕の顔をすぐ見て「どうですか?」という感じなんだけど、いや分からないなと思って(笑)。
吉田: 僕も一応カットをかける。でもやっぱり自分だけの判断では分からなかった。まず技術的なものをクリアしなきゃいけない。キャメラマンと録音部にまずそういう確認をして、俳優さんにも「どうですか?」と聞きました。それは多分ほとんどのカットでやったんじゃないかな。俳優さんに聞いて「大丈夫です、良かったと思います」となった時は「じゃあOKです」となったんですよね。自分の頭のなかで思い描いていることなんか、そんなに大したことないなと自分で思っているので、そこで発生したことを捉える。そういうものを元からイメージしたシナリオだったというのもあるし、きちんとカットを割った映画の良さも勿論あるのですが、自分の脚本に関しては多分そんな撮り方が一番良いんじゃないかなと思った。でも編集がこんなに大変だとは思わなかった。
諏訪: でもやっぱり、編集の為に素材を撮るというのはつまらない。だから編集のことは一旦忘れる。とにかく現場で、今この場所で何を起こすか、そういうことに集中しようと。編集するのは自分なんだけど、編集のことは考えないで「お前が絶対つなげないように撮ってやる。さあつないでみろ」みたいな感じで、編集のことは考えないようにだんだんなっていった。でも絶対繋がらないわけではない。作品に出来ないということはないですよ。
吉田: 並べれば繋がったことになる。
諏訪: そう、どこかを切ればいい。それで僕なんか、ぶった切ってしまったりする訳ですけど。まあそういう似たようなところが相米さんの映画の形式にある。映画の形式が、すっと収まっているような映画ではない。時間というのがギクシャクしながら流れる。そこで流れている時間がピッタリ収まって何かが語られていく映画ではない。何か全然違う時間がそのショットの中に流れていって、そういうものが重要だ、これが決定的な違いだったと思うんですね、映画っていうものの。先生役の円広志さんがいるじゃないですか。
吉田: あれ何か即興っぽくないですか。最初の教室で生徒の出席をとるところ。
諏訪: あの先生役というのも、当時の日本映画においては衝撃的だった。教室の先生のシーンというのは面白くない場合が多い。「脚本に書いてあるから」というシーンになるんですよ。
吉田: 台本通りに読んでいる感じではないですよね。
諏訪: あれは開放的だった。先生役というのは、『台風クラブ』(1985年)の三浦友和さんも素晴らしいですよ。僕は『台風クラブ』があったので、三浦さんというのがその時に浮かんだんですけど、こういうこともなかなか無かった。80年代の頃の印象に戻るけど、日本映画の考え方が堅かった。撮影所というものがね。相米さんは撮影所の最後の世代の人で、撮影所の中で身に付けたものを用いながら、しかしそれをひっくり返すことが出来た人だった。僕らは最初からから撮影所がない中で自分たちの空間の中で映画を撮り始めているので、そこは決定的にリアリティの水準が違うと思う。相米さんには前提としている撮影所というのがあって、そこからどうやって違う映画に変質させていくのかということが、相米さんの中で働いたんだろうなと思うんですよね。
【様々な現場作り。相米慎二監督の長回し】
吉田: 今まで思ってやってきた映画の見方や撮り方、文法と言ってしまっていいのか分からないですけど、それを絶対的な正しさみたいにしてしまうのもイヤだなと、撮影が終わって凄く思ったんです。今までと全然違う大きな規模の撮影が終わって、何かもっと違うやり方というか、これからまた撮り方が変わるのが理想だなと思ったんですよね。編集ラッシュを見るたびに違う映画に見えるし、ダビングで音の編集作業をしてみてもまた違う映画に見えるし、35mmにブローアップしてスクリーンで見てもまた違う。そういうプロセスを経験出来て、また別のやり方というのを探してみたくなる経験になりました。
諏訪: 今までやってきたことの延長ではなくて、次は全く違うことに踏み出してみたいなと。
吉田: どちらかというと、今回撮った『家族X』までは続いている感じはあります。今回を機にガラっと「商業映画を撮るのだ」という作り方ではなくて、本当に今までの延長というか、撮影もシーンをほぼ順撮りして、演出部のチーフがそういうところも作ってくれたり、自分のやり方にスタッフが凄く歩み寄ってくれたので良い経験が出来ました。
諏訪: そこで何か変わらないで欲しいというか、自分のスタイルは変わってもいいんだけど。かつてはさ、例えば自主映画で自分たちで映画を作ってきた人が、35mmフィルムの大きな規模に移行した時にそのスタッフの中に飲み込まれてしまったり、そこで「今までやってきたことと違うことやらなきゃいけない」と思ってしまったり、やろうと思っても現場自体をコントロール出来なかったり。そのシステムの中に映画が飲み込まれてしまうということが、自分が助監督として見ていたときにもね、結構あったんですよ。商業映画デビューしたけど、結局それまでやってきたことが維持されなかったということが過去に沢山あったと思う。自主映画と商業映画、その差がもう無くなってきているんだと思うし、変える必要がないと思うんだよね。自分がやってきたことを、そこで自分の映画に、その映画撮影という現場自体を自分のスタイルに持っていくしかない。撮影現場がその映画のスタイルを作るじゃないですか。相米さんのやっていたのは現場作りだと思うんですよね。その為にある1つの方法として「このショットを全部1カットで行くよ」ということを編み出したと思うんだよね。それはやっぱり相米さんの場作りだった。それが映画の形式というものを生んでいったんだと思う。
吉田: 僕も何度も「長回し」と呼ばれる撮り方をしたんですけども、「お芝居を切りたくないな、見たいな」という本当に単純な理由だったりする。そこで引きや寄りの画があれば編集は凄く楽なんだけども、「ここはこれだけでいいな」と思えちゃう瞬間があるんですよね。
諏訪: やっぱりスタイルってその人の見方だったりするので、「相米さんみたいに撮ろう」と思って出来ることではない。それがスタイルというもので、多分『症例X』とか吉田君のこれまでの映画は、ある意味でスタイルがハッキリと見えていたんだと思う。「こう見よう」ということがハッキリしていたと思うんですよ。そういうことで映画が撮れるのだという核心を、どこかで吉田君が持ったからなんじゃないかな。それがどんどん変わるということ。
吉田: そうやって作ったけど「どう見られるのか」というのはまた別の話になる。どういう風に受け取られるのかなというのはドキドキで。
【相米慎二監督と海外】
諏訪: そういう意味ではね、相米さんがヨーロッパでもうちょっと理解されても良かった気がしていて。ある意味リアリズムではないし、非常に独特なところもあって、相米さんが凄くスタイリッシュにこだわってやっているのとは違う水準で、このスタイルは生まれていると思う。ちょっと理解されにくかったかなというか、もう少し国際的に活動することも出来たはずなんだけどなと改めて思う。
吉田: 相米慎二監督の作品が、最初にヨーロッパに行った切っ掛けというのは?
諏訪: 『お引越し』のカンヌですよ。1993年に第46回カンヌ国際映画祭・ある視点部門に出品した。それ以前は分からないですけど、ありましたかね。まあ『台風クラブ』が1985年に東京国際映画祭で受賞というのもありましたけど、『お引越し』の時に北野武監督の『ソナチネ』と一緒にカンヌに。その時に、北野武さんの国際的な評価が『ソナチネ』で一気に定まっていった。それに対して『お引越し』も非常に良い映画だったと思うんですけど、そこで相米さんの際立ったスタイルというのがヨーロッパにパっと伝わるという感じにはならなかった。相米さんて、インタビューなんかで話さない人ですからね。「そんなに俺、真面目に考えてやってないし」とか「こんなこと話しているくらいなら、酒飲んだ方がいいよ」という感じの人ですよね。僕ちょっとしか知らないんですけど。
吉田: 諏訪さんが初めて相米慎二監督とお会いした時に何が起きたんですか。相米慎二監督と1回だけお会いしたとか。
諏訪: 1回だけね。『M/OTHER』(1999年)が終わった時に、三浦友和さんから「今度相米さんを紹介するから。諏訪さんと相米さんが何話すのか、俺聞いてみたいし」と言われて、何かの集いの時に三浦友和さんに相米さん紹介してもらった。「どうも」って言って、そのまま「シーン」。
吉田: 沈黙だけなんですか?!何か間を埋めようとは?
諏訪: 普通だったらそうしたかもしれないですけど、「まあいいや」と思って。
吉田: 三浦友和さんはもうその場に居ないんですか?
諏訪: 分かんないな。遠くから見ていたかもしれない。そんな真面目に「さあ話しましょう」という感じでお話ししても仕方ないと思って。相米さんとも神代辰巳さんとも、間接的にかな。僕は神代辰巳さんとはちゃんとお会いする機会はなかったけど、神代辰巳さんの最後の監督作品、1995年の『インモラル 淫らな関係』に主演したのが柳愛里さんだったんですよ。だから柳愛里さんと『2/デュオ』(1997年)をやるということは、どこか神代辰巳さんと一緒にやるに近いのかなと。相米さんとは『台風クラブ』があったからね、三浦友和さんとやってみたいと思えたしね。そういう意味では、会って話はしなかったけど「これでいいんだ」という感じでしたね。
--- 会場から:質疑応答 ---
【アフレコについて】
観客: 『翔んだカップル』なんですが、お2人のお話の中で中心になっていた長回しのスタイルと、単純に考えたら矛盾なんですけどアフレコがかなり多い。しかもちょっとありえないような使われ方をしていて「凄いな」と思ったのですが。
諏訪: 全然合っていないところ、ありましたよね。
観客: 尾美としのりが落語をつぶやくところとか、あれも普通に撮れないから補ったアフレコというよりは、もっとかなりクリエイティブな。
諏訪: そうですよね。
観客: お2人とも御自身が映画を撮るときに、長回しとか俳優さんの演技を撮る時にこだわりがあると思うんですが、アフレコを後からつけるということに関してどういう風に考えられているのか、今日ご覧になってみてどう思ったか意見をお聞かせ願いたいです。
諏訪: 僕にとってはね、やっぱり神代辰巳さんの関係で見えてくる。神代さんの映画って、これ柳愛里から聞いたんだけど、歌を唄うシーンがあって「絶対口を合わすな。全然違う歌を歌え」。「現場で1回やったことはいいんだ。今やることをやれ」と言って、別の歌を歌わせたりとかね。神代さんが作ったテレビドラマだって、これは僕の記憶の中にあることなので間違ったことを言っているかもしれませんが、酒井和歌子さんが主演か何かでシンクロで撮っているんだけど、酒井和歌子の台詞だけ全部アフレコみたいな。音の使い方がかなり過激なんですよね。神代辰巳さんの映画で『青春の蹉跌』(1974年)という相米さんがついた映画でのショーケン(萩原健一)の「エンヤートット、エンヤートット」とか。ああいう音の使い方はそこから来ているんじゃないかなと思います。僕自身はアフレコは基本的には好きじゃなくて、そこで何かをクリエイティブに作りだすのはあまり考えていないとこがありますね。部分的にはやりますけど。
吉田: 自主映画の時は本当にガンマイクで録音する音だけだったんですけど、今回の作品で初めてアフレコというものをやった。アフレコでどう作るということではないのかもしれないですけど、ちょっと同録のお芝居でテンションが「想像していたものと違うな」というシーンがあって、それをアフレコで撮り直したんです。ちょうど後ろ姿で顔が映っていなかったので出来たんですけど、それが凄く良いシーンになった。「このシーンちょっと違う」という、もしかしたらカットしてしまうぐらいのシーンだったのが、アフレコで蘇って現場以上のシーンになった。そういう現場だけじゃない別の要素で生まれるものがあるんだ、というのに気付けた。さっき言った、今後「今までと違う撮り方というものにいけるんじゃないか」と思えた理由の1つでもあるんですけど。
諏訪: 僕はまだ、あんまりアフレコしたくないんですよね。1回やったことを2回やるのは「もういいじゃん」というか、嫌いというのがあって。でもフランスのポスプロの時は、フランスは台詞が聞こえないと駄目なんだよね。だからもの凄くアフレコする。僕の『ユキとニナ』(2009年)という映画があるんだけど、冒頭で女の子が「男の子がナンとかカンとかでさ~」と即興で喋るシーンがある。スタッフが「やり直す」というんだよね、「聞こえないから撮りなおす」と。もうやめてくれよと思ったんだけど、女の子が上手くて結構完璧なアフレコで、アフレコと気がつかないくらい同じようにやってくれた。この子凄いなって。
吉田: 最初は後からアテるという行為に拒絶感があった。だけどそこでこんなに良く生まれ変わるということがあるんだな、というのは凄く良い経験でした。
諏訪: それは凄く良かったんじゃないですか。そこで何か違う展開が出来た。それは本当にクリエイティブな展開で。音と映像の組み合わせというのは、ありうるわけじゃない。
【映画に映らないことをやる】
観客: ちょっと私不勉強で、相米慎二監督の作品を初めて見たんです。
諏訪: どうでしたか。
観客: ちょっとびっくりしたのが、厳しい監督だというのは噂では知っていたのですが、見たら役者さんが凄く開放的で、どんどんどんどん皆が前に出して、前向きに絡んでくるという印象が凄くあって。ダメ出しというかダメしか言わないという噂なのに、その現場でよくこんな空気を出せたなと思いました。今日の上映の前に、監督として「役者に対しての何か出来たことがあるのか」みたいな話もされていたので、そこがちょっと聞きたいなと思ったんですが。
諏訪: 今回初めて、いわゆるプロの俳優さんである田口トモロヲさんとか南果歩さんとかやった。その経験はどうでしたか。
吉田: スタッフもそうだったんですけど、俳優さんも凄く歩み寄ってくれました。
諏訪: 緊張しましたか。
吉田: 緊張してない風には見せていたつもりなんですけど、周りから見たら緊張していたかも。
諏訪: そうですよね。監督ってキャスティングの時とかも、本当は緊張しているんですよね。
吉田: そうですね。ただ「こちらがお願いする芝居を演じてもらう」ということ以上に出来ることはないかなと思って、1日だけリハーサル日というのを設けてもらった。撮影のクランクイン直前に全部署が大集合して。本当はもう撮影直前でみんな準備がある中、俳優さんも含めて集まってもらったんですよ。
それでリハーサルを、僕もどういう風にやるか分かんないんですけど、あるシーンをやってみた。
諏訪: 本読み(脚本読み)とかはやったんですか。今でもああいうのってやるのかな。
吉田: 本読みとは違うんです。だから「どうしようかな、どうするのが一番良いかな?」と思ったときに、僕は脚本に載っていないことをやったんです。この映画は家族の話なんで、例えば具体的に言うとキッチンのシーンとか、リビングのシーンとかがシナリオにはあるんですけど、それはどうせ撮影日が来たらやるわけです。だから「朝起きて、まず何しますか」とか、キッチンに来るまでの生活とか日常の中の生活とか、そういうものをやった。凄く贅沢な時間を作ってもらえたんです。クランクインまでにもっと時間があればシーンごとのリハーサルという方法もあったと思うんですけど、映画が動き出してからクランクインまで、凄く短い期間の中で仕上げていったので、何か1つ出来る日に、何が出来るかなと考えた結果、「映画に映らないこと」をやってみた。これは凄く良い経験だったなと思いました。
諏訪: 『M/OTHER』(1999年)の時はやりました。「1年前をやってみよう」とシナリオの1年前とか、「最初にこの家に来た日をやってみよう」とかそういうことをやりました。
吉田: 以前に諏訪さんが言っていた初監督の『2/デュオ』(1997年)でしたか、西島秀俊さんにロケ車を運転させていたとか、そういう関係が凄く良いなと思ったんですよね。やっぱり俳優さんとして撮影現場に来てしまうと、どうしても居場所が違ってしまうじゃないですか。そういうところでも一緒に過ごして運転までさせちゃう、その感じが凄くいいな。
諏訪: 凄くノッてくれたんだよね、西島秀俊くんがね。でも「お願いだから助手席で寝ないでくださいよ」とか言われましたね。僕も眠いんだからとか言って(笑)。
吉田: せっかく映画なんだから、ただ脚本にあることを演じてもらうよりも、映らないものをつくるとか、役以上に俳優さん本人に出会いたいですよね。僕は俳優じゃないので分からないけど、やっぱり俳優さんは自分の中にあるリアリティを1つ拠り所にしているんじゃないかなという思いがあって、そこを見たいんです。言ってしまうと追い詰めたいというか、追い詰めて見えてくるものとか、そういうものに出会いたいです。
諏訪: 相米さんが怖い監督とおっしゃったけど、演出家は「そうじゃないんだ、こうなんだ」とあるイメージを最初から持っていて、凄く怖くてそのイメージに来るまではダメだしをするというイメージは、もしかしたらあるかもしれない。もちろんそういう人もいると思うんだよね。自分の中でハッキリ演技の形が見えて「ここまで来ないと駄目だ」という風に考える方もいらっしゃると思うんですけど、弱い演出家というか、僕はそれでいいと思うんですけど、映画の演出はこうあるべきだというのはないんだよね。出て来たものというのは、目の前に起きているもので、それが「何か違う」とか「これはちょっと、そうじゃないかもしれない」みたいなことはあるじゃない。
吉田: そうなんですよ、それを説明するのに「どうしよう」という状況が。
諏訪: 本当は相米さんみたいに「そうじゃない」と言うしかないし、じゃあどうしたらいいのかに対して「分かりません。それを考えてください」と言うしかないのは凄くよく分かるんですよね。ジャン・ルノアールもそういうことを言っていたと思う。「私がどうして欲しいではない。俳優がしてくれたことを目の前にした時に、初めて自分が映画を発見するのだ」ということを言っていた。映画というのはどこか既に監督の頭の中にあると思うかもしれないけれど、どこにもないんだよね。それを具体的に生起させるのが監督の仕事で、実際その場所をどう組織するのが一番大変な訳じゃない。吉田君のやったリハーサルも、人が動いていた時に「その場所を作ってみる」ということがシュミレーション出来る。そういう必要はあったんじゃないかなと思いますね。
【1テイクか、それともテイクを重ねるか】
観客: 相米慎二監督は何回もテイクすることで有名な監督ですけれど、助監督に黒沢清監督が付いて相米監督のテイクの取り方を見ていたら、一番初めの新鮮なカットから何カットかは良いカットを撮れていたけれど、テイクを重ねるとテンションが落ちてきてあまり良くなくなってきた。更に何度もテイクを重ねていくとだんだん良くなってきて、その時点でOKが出るようなことがあったそうです。そこまで時間を掛けるなら、逆に何テイクもやらなくて、1テイクか2テイクかそういう形で最初の新鮮な1テイクとかをやった方がいいんじゃないかと思ったそうです。果たして何テイクもやった方がいいのか、それとも俳優の新鮮な感じを生かした方がいいのか、ご意見を伺いたいです。
諏訪: テイクどのくらいやりました?
吉田: どうなんだろう。そんなに回してないはずです。やっぱり一回性みたいなのを捉えたかった。映ってはいけない人が映ったみたいな物理的なNGはどうしてもあるんですけど。
テイクを重ねるかどうかは、演じる俳優さんによっても違うのかなと思ったんですよね。
諏訪: そう、違います。
吉田: 何回やっても新鮮な人もいるし、だんだん固まってくる人もいる。それは本当「プロフェッショナルとはこのことだ」と凄く感じました。この人はどういうお芝居をする人なんだろうか、というのはすぐには気が付けないと思いましたね。だからいわゆる芝居というものを、何回もやったところもあります。僕はホントに俳優さんによると思った。一回性が欲しい場合でも、何回やっても新鮮な人もいるんだと気が付きました。
諏訪: これまた極端な話かもしれませんが、ジャック・ドワイヨンというフランスの監督がいます。僕の監督した『不完全なふたり』にちょっと出てくれたりもしたんですが、ジャックが『ポネット』(1996年)を撮っています。この映画は、幼稚園の4歳くらいの女の子である、ポネット役のヴィクトワール・ティヴィソルに30回、40回とやらせている。彼はそのスタイルを絶対変えない。だからジャックの脚本というのはト書きは書いてない台詞だけの脚本なんです。動きは指定してない。それ全部覚えて、最初は覚える。彼の場合は何十回かやっていく中で、ある瞬間に神が降りてくる、恩寵があるというんですよ。でも分かる気がするわけ。相米さんの映画も1テイクの良さで撮っている映画じゃないってことね。偶然の何か面白い映画じゃなくて、何か作り上げているところがある。で、やっぱり1テイク目が一番新鮮なのよ。2テイク目、3テイク目は、もうちょっとここをこうしようよ、ああしようよ、カメラももうちょっとこうした方がいいね、それが上手くいった、いかなかったと、皆がある成功を目指してしまうんだよね。そうすると、これが非常につまんないショットにだんだんなっていって、気がつくと「これなんか全然つまんないね、このショット」となっちゃうんですよ。
吉田: 何か、段取りっぽさを感じるショット。
諏訪: 出てくるのよ。さっきよりこっちの方がタイミング良いよね、みたいな。全てが上手くいってしまうと全くつまらない映画になってしまう。ジャック・ドワイヨンが言っている恩寵というのは、多分もうわけ分からなくなるんだよね。心理とか考えているとかそうじゃなくて、もう身体になってくる。台詞覚えているとか覚えてないとか、そういうことじゃもうなくなるわけですよ。それが「神が降りる場面」というか。「1回目か30回目か、という選択しかない」というのは、相米さんがそうおっしゃっていたのか、誰かから聞いたような気がします。もちろん俳優によって違うというのもありますけど、それは1つの戦略ですよ。場所の作り方なんですよね、監督のね。フィリップ・ガレル監督はある映画で「1回しか撮りません、今回全部1テイク」と宣言したそうです。だから台詞トチっても1テイクしかない。監督はそれ使うしかないんですよ。それはそれで凄い。でも僕にもあるよ、戦略的に「今日は1テイク撮って、OKだと思ったらやめる。だから9時スタートして10時で撮影終わり」という時もありました。それは場所作りというか、皆の気持ちをどうコントロールしていくかというのがある。
吉田: 僕にはまだ、自分の中では縛りを決めていても「言ってしまうと、そうしなきゃいけなくなる」というひよっ子感はありましたね。
【『台風クラブ』で日本映画の可能性を感じた】
観客: 相米慎二監督の映画を久々に見て、『翔んだカップル』は久しぶりに何かに出逢った感じがあって、これからまた見たいなと思いました。凄く面白くて感動したのですけど、お二人が相米監督の映画を初めて見た時にどう感じてどう思ったのか、そういう話を聞きたいです。
諏訪: 僕はね、やっぱり『台風クラブ』(1985年)です。『台風クラブ』見ていなかったら映画撮ろうと思わなかったかもしれない。大学生のときに『台風クラブ』を見て、日本で映画を撮ることにまだ希望があるのかもしれないと思いましたよ。「何だ、日本でも出来るかもしれないじゃん」と。こういう言い方をするとあれなんですけど、日本映画界というのに失望していましたから。本当嫌だったんですよ。だからフランスで撮っているという訳じゃないんですけど、それとは関係ないんですけど、でも「これはダメだ」という感じの方が強かった。そんなに熱心に日本映画を何でも見ましたという訳ではないし、もちろん素晴らしい作品も色々あったと思うんですけど、根本的には、全体的には絶望していたので、「何だ、出来るじゃん」という希望を持ちましたね。他の映画とは明らかに違う。その違いというのが、そこが本当は映画が見つめるべきものなのに、当時の商業映画は全くそういうことを見ようとしないじゃないか、みたいな感じだったんですよ。そういう出会いだった。
吉田: 僕が相米慎二監督を知ったのは、2001年に監督が亡くなられたのが切っ掛けです。
僕が20歳くらいの時です。亡くなられたのを機に、「ちょっと見てみようかな」と思ったのが切っ掛けなので、いわば入れ違いなんですね。やっぱり最初に見たのは『台風クラブ』です。ハッとしたというか、中学高校の時期とか台風ってなんかワクワクしたじゃないですか。「朝6時のニュースで悪天候の警報が出たら学校休み」という連絡が来て、「おー」とワクワクしたり。僕は暴風雨の中、友達とチャリンコに乗って傘もささないで走った経験とかもあって、「台風にワクワクする感じ、それだけでこんな映画になるんだ」と、些細な心境を凄く面白い映画にしていてビックリしました。それが一番最初でしたね。「何か凄いな」という感覚から相米慎二監督という人を見るようになったんです。
諏訪: 「これ映画になるじゃん」という確信を与えるというのは凄いことだと思うんだよね。それを見てしまったら、「これって映画で撮っていいんだ。こんなことで映画を撮っていいんだ」と。例えば今回のPFFのジョン・カサヴェテス特集で『フェイシズ』(1968年)とか見ていると、「こんな話で映画撮っていいんだ。これでこんだけの映画になっちゃうわけ」と思う。やっぱり確信を与えてしまうというのはその後に決定的な何かを残すような気がするし、『台風クラブ』というのはそういう映画だったような気がするんですよね。そこから相米さんがどういう風に映画を生きていったかというのは、また色々複雑ですけどね。
【自分の作品を語る必要性】
司会・荒木: 先ほど話に出ていた相米慎二監督の海外への展開、海外では有名にならずに終わってしまったのですけど、日本の映画監督たちが影響を受けた監督として挙げる筆頭に相米慎二監督の名前がある。今30代くらいの監督、大体その頃の世代が一番影響を受けた監督として相米慎二監督のことを海外で語るのに、海外の人が全然興味を持たない。それは相米慎二監督の作品の内容が分かりにくいのかもしれませんが、監督ご本人が海外に出ることにあまり興味がなかったいうことがあると思うのです。先ほど諏訪敦彦監督が言われていましたが、インタビューをまともに受けないということが、やはり非常に大きかった。海外の人が相米慎二監督を呼んでも何も語らないし、自分の映画を「どうでもいいものだ」と人前で言ってしまう。そういう非常に露悪的な喋り方は日本人にはとても理解出来る照れの裏返しみたいなものだと思うのですが、海外では全く通じなかったということがあると思うのです。外国に行くということは、諏訪敦彦監督も骨身に染みていらっしゃると思いますが、自分の作品を凄いものだと語ることが必要ですよね。
諏訪: 何か答えるというのは必要ですよね。質問された時に「いや分かんない」と日本では言っていいんだけど、これはやっぱり日本だからで海外では通用しないんだよね。答えないというのは態度として理解されない。
吉田: その場で咄嗟に出た言葉から、自分の映画の新たな見方を発見しますよね。
諏訪: そうなんですよ。その時に思い付きで言ったことが自分の映画の見方を決めていくんですよ。
吉田: その後、別の場所でも同じことを繰り返し言うようになります。
諏訪: そう。これからもそういう機会があって色んな質問を受けるでしょう。そういう時に「あれはどういうことなんですか」と聞かれて「えーと」と考える。そういう時に自分が無意識的にやったことが初めて言葉になるんですよ。
司会・荒木: 美味しいもの好きで有名だった相米慎二監督は、海外へ行くと食べ物がまずいので行きたくないと、どこへ行くにも美味しいレストランのリストは持っていたという、大変グルメな監督としても有名でした。多くの人が相米慎二監督に作品を作り続けてもらおう、生活をちゃんと維持してもらおうとした、本当に愛された監督だったと思います。見た機会のない方は、『台風クラブ』を筆頭として是非見ていただきたいと思います。そろそろこの場所を閉めなくちゃいけませんが、まだロビーでは色々お話していただけます。
実は7月29日の夜、今回のPFFのクロージング上映として、吉田光希監督の『家族X』をお披露目します。私はもう拝見したんですが、本当に傑作です。
諏訪: 宣言しましたね(笑)。
吉田: あまりハードル上げないで下さい(笑)。
司会・荒木: 吉田光希監督に興味をお持ちの方には、是非29日に『家族X』をご覧いただきたいです。諏訪敦彦監督の作品はDVD化された作品も多いので見る機会も多いでしょうが、最新作『ユキとニナ』も10月27日にDVDで出るそうです。もしまだ見ていない方は、劇場公開も続いていますし是非ご覧ください。
諏訪敦彦監督、吉田光希監督、今日は長時間本当にありがとうございました。