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第1回 7月16日(金)14:30~17:30
~僕たちをときめかすエンターテインメント~
- 上映作品:
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『独立愚連隊西へ』(1960年、岡本喜八監督 107分・35mm・白黒)
偶然か必然か、新進気鋭の若手監督2人が注目したのは岡本喜八。
本映画は加山雄三の映画初主演作であり、エンターテインメント性と大衆性あふれる傑作。
会場では岡本みね子さんの貴重な証言も飛び出しました。
ゲスト:石井裕也(映画監督)
大阪芸術大学卒業制作の『剥き出しにっぽん』が、2007年にぴあフィルムフェスティバル(PFF)でグランプリを受賞。第37回ロッテルダム国際映画祭および第32回香港国際映画祭では、『反逆次郎の恋』(2006年)、『ガール・スパークス』(2007年)、『ばけもの模様』(2007年)まで自主長篇4作の特集上映が組まれ世界中の注目を集める。またアジアン・フィルム・アワードでは第1回「エドワード・ヤン記念」アジア新人監督大賞を受賞した。劇場デビュー作となる第19回PFFスカラシップ作品『川の底からこんにちは』が公開中。
ゲスト:真利子哲也(映画監督)
法政大学在学中から映画制作を開始。2003年に『極東のマンション』がゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター部門グランプリなど7映画祭で受賞し注目を浴びる。翌年の短篇『マリコ三十騎』は、オーバーハウゼン国際短篇映画祭・映画祭賞を受賞、ロッテルダム国際映画祭など18の映画祭から招待され、2年連続のゆうばり国際ファンタスティック映画祭グランプリ受賞など9映画祭で賞を獲得。東京藝術大学大学院映像研究科の修了作品として監督した初の長篇映画『イエローキッド』が本年劇場公開された。
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司会・荒木: 本日は「カルト・ブランシュ」第1回にお越し頂き、ありがとうございます。本日の司会進行の、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)ディレクターの荒木啓子と申します。私どもは、ここ東京国立近代美術館フィルムセンターの2階大ホールでPFFを開催しています。今日はその関連企画である「カルト・ブランシュ」の第1回。タイトルは『~僕たちをときめかすエンターテインメント~』です。これからの日本映画を背負っていくであろう注目の2人の若い監督が、自分たちが好きで好きでたまらないという映画を選び、見ていない人に是非伝えたい。そういった趣旨の企画です。今日は『独立愚連隊西へ』(1960年)を上映し、対談をしていただきます。では早速ご紹介したいと思います。先日、『川の底からこんにちは』が公開されたばかりの石井裕也監督と、やはり『イエローキッド』が公開されたばかりの真利子哲也監督です。
両監督の挨拶と、上映作品の説明
石井: 石井裕也と申します。今日は平日の昼間からお越しいただき、どうもありがとうございます。
真利子: 『イエローキッド』という映画を監督しました真利子哲也と申します。暑い中来ていただいて、ありがとうございます。
司会・荒木: 今日上映する『独立愚連隊西へ』(1960年、岡本喜八監督)は、石井裕也監督からこの企画で絶対やりたいというお話がありました。じゃあ「誰と対談するといいかな」という段階で、石井裕也監督から真利子哲也監督という提案がありました。実はそこには偶然が隠されておりまして、真利子哲也監督がまず石井裕也監督に聞いてみたいことが。
真利子: 『イエローキッド』の公開が本年(2010年)の1月末だったのですが、その時の取材の中で岡本喜八監督の名前を出したことがあって、それに関してちょこちょこ取材を受けたりしていました。今回「なぜ岡本喜八なのか」「なぜ僕に声をかけたのか」ということが気になっているのですが。
石井: まず、なぜ岡本喜八監督を選んだかということですが、フィルムセンターに所蔵されている映画の中から選ぶということで、小津安二郎監督か今村昌平監督か、岡本喜八監督かで悩んだんです。その3人の監督は好きで、小津安二郎監督なんかは最近特に好きになってきて。でもやっぱり、大画面、映画館でフィルムで観るという時に、岡本喜八監督の音楽的な演出、オーケストラの指揮者のような演出、「はい、ここヴァイオリン」、「はい、ここでフルート」というような、リズミカルで音楽的な映画が最適だと思いました。
ちょっとまどろっこしい説明かと思うのですが、僕が映画を作る時に「これだけは外せない」という4.5箇条があるんです。「人間味があるか」、「自由があるか」、「作家の良心に基づいて作っているか」、「風刺がきいているか」。最後は、「孤独に向き合っているか」なんですが、僕が映画を作る時に孤独に向き合っていなければスルーしてもいいので、これは0.5箇条。総じて、自分が映画を観た時にどういうところを面白がるかということなんです。
真利子: それは自分が幼い時から映画を見てきて、「どういう時に自分が面白いと思うか」を研究してきたということですか。
石井: そうです。人間味を感じた時に面白いと感じる。どこで自分が面白いと思うかということが、自分の中で明確になっていないと映画は作れない、ブレてしまう。でも0.5箇条目の「孤独に向き合っているか」というのは、観る人の心境とか状況とかによって変わってくるので、スルーしてもいい場合もあると思っています。
真利子: 映画を見始めて10何年かのうちで、映画を分析した方が自分が映画監督としてやっていくのに有意義だと気がついた日があったのですね。それはいつ頃だったのですか?
石井: 学生時代だったと思います。岡本喜八監督の映画はその4箇条を全部網羅していて。しかも、その先にあるもっとハードルの高いエンターテインメント性とか大衆性というのもクリアしている。それで岡本喜八監督の作品を選びました。他にも『血と砂』(1965年)だとか『斬る』(1968年)だとか候補はあったのですが。
真利子: 初めに上がったタイトルが、『独立愚連隊』(1959年)、『斬る』(1968年)、『肉弾』(1968年)だった。
石井: その中で『独立愚連隊西へ』を選んだ理由は、明確に喜劇を志向しているということです。喜劇、英語に訳したらコメディですが、コメディという言葉にはかなり疑念を持っています。あまりにも薄っぺらなものが多すぎるから。コメディって言うと、ホント何か残念なことをしている人だというイメージがついちゃう。だけどこの『独立愚連隊西へ』は、明らかに悲劇で悲惨な状況を笑いに変えようとしている。笑いというものを使って、現実より一歩先に行こうとしているという意味です。それでこの作品を選んだんです。という中で、新しい同世代の監督ということで、ぜひ真利子哲也監督にお話を持っていきましょうとなった。そしたらたまたま真利子哲也監督も、岡本喜八監督と言っていたということです。
真利子:『イエローキッド』を公開する時に言っていたのは、『イエローキッド』が学生映画だということもあるのか、「何で公開したいのですか?」という取材の質問が来る。その時に「映画館で見てもらいたい」ということを言って、すぐに浮かんできたのが岡本喜八監督だったんです。ここ東京国立近代美術館フィルムセンターで沢山の映画を見てきましたが、岡本喜八監督の『結婚のすべて』(1958年)の上映のとき、最後にホールで大喝采が起きたんですよ。その時にたまたま立ち合っていて「映画ってすげえな」と思った。そういう映画が撮りたいというのがあって、それからは岡本喜八監督を気にして見てきました。
司会・荒木: 石井裕也監督はそのことを知らなかったけど、多分どこかで同じように映画に向き合っているという勘で。
石井: いや単純に、真利子哲也監督とはゆうばり国際映画祭で会って、今年のロッテルダム国際映画祭でも会ったんです。でも、真利子哲也監督は割と僕と距離を置きたがる。
真利子: いや、そんなことないですよ。
石井: 同世代の、持っているアイデンティティみたいなものが近しいというのがあって、しかも同世代の監督ってあんまり他にいないじゃないですか。そういうところで微妙な距離感というか。
真利子: 探りあい。
石井: そうそう、探り合いみたいのがあって。多分、微妙な距離感を真利子哲也監督は取りたいんだと思うんですよ。
司会・荒木: 僕はそうじゃないと。
真利子: ずるいですよね(笑)。
司会・荒木: 昔の映画監督たちと違って、スタジオがあるわけじゃないし、年中会えるチャンスがあるわけじゃない。いま映画監督としてやっていくと、一人ひとり孤立せざる得ない状況にある中で、どうやったら力を貸しあえる、情報を共有し合えるか。ライバルじゃなくて、力を合わせた方が上手くいくんじゃないか。でも、なかなか上手くいかないという状況を打破することまで、今の若い監督には課せられているような、非常につらい状況だろうと思います。いろんな機会で何かの交流がというか、連帯が生まれればいい。距離感がどうだとか分かりませんが、そういう機会が増えるといい。会って話したり、情報を共有できる機会があれば変わっていくんじゃないかな、と思っているのですけど。
さて、『独立愚連隊西へ』ですが、石井裕也監督の話にあったように、色々見たい作品は山のようにあるけれど、この作品が石井裕也監督の好きなひとつのコメディ作品。コメディとは何たる要素であるかということの、一つの明快な指針を示している映画ということでこれを推された。
石井: あと音楽的。
司会・荒木: そうですね。岡本喜八監督の映画はジャズというイメージがありますけど、リズムという点ではあの時代、ほんとに卓越した才能だったと思います。そして真利子哲也監督は、岡本喜八監督の映画が、演劇でもなく、監督が来ているわけでもなく、ゲストが来てる訳でもないのに、喝采を起こしたというその感動から、ずっと見続けてきた。
まずは上映をいたしまして、そのあとお2人に、映画監督の視点からこの作品のどこが凄いのか、あるいは技術的な面など、色々な観点からお話をしていただけたらと。お二人が作った映画ではないので質疑応答は非常に難しいと思うのですが、何か聞いてみたいことがありましたらどんどん客席から質問を取りたいと思います。
では上映に移らせていただきます。
--- 映画『独立愚連隊西へ』(1960年)の上映 ---
司会・荒木: それでは早速ですが、二人をお呼びしたいと思います。石井裕也監督、真利子哲也監督、どうぞ。
石井: 最後、字幕が無かったですね。あの中国人の字幕が。
司会・荒木: DVDには全部字幕が入っているんですね。通訳をちゃんと生かしていたんですね。
石井: 「空砲を撃て」と言っているんですよ。で、退却する。
司会・荒木: 久しぶりにスクリーンでご覧になって如何でしたか。
石井: 良かったです。
真利子: 良かったです。そうなんですよ、「楽しかった」ということなんですよね。
石井: それがホント重要だなと思うんです。
真利子: 公開の時は当然ながら、東宝がたくさん作る映画の中の1つでしかない。この企画のように特集するわけじゃなく、たくさんある作品の中の一つでしかなかった。「独立愚連隊、西へ」は過去の重要な作品として身構えて観るよりも、できるだけ気楽に楽しみたいと思う映画ですよね。
司会・荒木: 普通に通常公開されている映画としてということですね。『独立愚連隊』(1959年)が大ヒットして、続編としてこの『独立愚連隊西へ』が作られたわけですが、順番通りにご覧になられたんですか。
真利子: そうです。見たのは、ほとんど同時期ですけど、多分順番通りだったと思います。
石井: 僕は『独立愚連隊西へ』(1960年)から観て、そのあと『独立愚連隊』(1959年)を観たのですが、こっちの方が好きで。
加山雄三の魅力
石井: 軍旗捜索隊の話なんですが、肝心の軍旗が最初からボロボロなんですよね。それを皆が必死に探している。つまり、戦争を完全に馬鹿にしているんです。開始5分くらいのところで、女郎屋の前で娼婦たちが軍旗捜索隊を見ながら「兵隊さんを探しに行くんじゃない?」-「兵隊さんならハガキ1枚でいくらでも来るよ!」という会話をするシーンがあります。開始5分の段階で、既にテーマがハッキリしているんです。その上でエンターテインメントをやる。加山雄三さんがいいですね。
真利子: 映画の初主演ですよね。
石井: 加山雄三さんの台詞で、「人間の命と地球の重さ、どっちが重いのかな?」、「いや~、人間の方が重いんだな」みたいなものがあります。こういうキザな台詞を成立させられる人は実はあまりいない。若大将くらいしかいない。加山さんの「君といつまでも」という歌があるじゃないですか。あの曲は真中に台詞が入っていて、「僕は君を死ぬまで離さないぞ、いいだろ?」と言うんです。こんなことが言える人は、現代ではまずいないと思います。
戦争という悲惨な状況の中で、もう2年前に皆死んじゃった事になっている独立愚連隊の人達は、一見するとちょっと変わっているんですが、実は彼らの方がよっぽどまともで、外側にいる人たちの方が狂っている。そんな変な人たちの中にいる変な人として、また加山雄三さんがいる。これがいいんですよ。加山さんじゃなくて、愚連隊の面々と同じような人たちが小隊長をやっていたら、これは締まらなかった。
司会・荒木: どこかでシリアスにならざるを得ない部分もあるし。
石井: 加山雄三さんは適役だったんじゃないかと思います。
司会・荒木: 石井裕也監督が加山雄三さんの魅力にちょっと打たれた、きっかけはこの映画ですか。それとも元々、若大将とか歌とかからずっと注目されていたんですか。
石井: ずっと好きです。BSとかで今でもたまに歌っているじゃないですか。「君といつまでも」とか、加山さんじゃなければ成立させられない歌をうたう。いいお歳ですよね、もう。
司会・荒木: 73歳だと思いました。
石井: この映画の加山雄三さん、本当に良かったと思います。
真利子: 22歳くらいの頃ですよね。
司会・荒木: 1960年にリアルタイムでこちらの作品ご覧になった方、会場にいらっしゃいますか。いらっしゃる!
石井: それは是非、あとで印象を伺ってみたいですね。今観た印象と当時の印象。僕が昨日観た70年代のアメリカの学園映画は、登場人物たちが本当に馬鹿をやったり、散々マリファナをやったりしているんですが、ベトナム戦争という時代背景を考えれば、それはそれで腑に落ちるんです。でもその時代背景が分からなかったら、ただバカをやっている人たちだとしか思えない。映画って、時代とか状況によって見え方が全く違う。当時リアルタイムでどういう印象をこの映画『独立愚連隊西へ』が与えて、今どういう風に見えているのか、後でちょっと聞いてみたいです。
キャスティングと役者の力。演出の力
司会・荒木: 今、加山雄三という話題が出てきましたが、真利子哲也監督がこの作品のなかで注目したのはどういう点だったのでしょうか。
真利子: 『独立愚連隊』を先に見て、佐藤允さんがかっこいいなと。『独立愚連隊』では主役(従軍記者荒木)なんですが、『独立愚連隊西へ』では加山雄三の部下(戸川軍曹)なんですよね。でも下についている佐藤允もやっぱりすごく魅力的で。佐藤允が「ちっきしょう」というじゃないですか。同じ言葉でも、細かな表現の仕方で受ける印象に大きな違いがあるということを、改めて感じました。他の言語には訳せないんでしょうね、あれは。
石井: 「粋だね」という意味でも使っていますよね。あと笑った時の、皺の感じとかすごいですよね。
司会・荒木: あまり日本人にはない皺。
石井: 変わった顔ですよね。
真利子: この作品についてちょっと調べたんですけど、岡本喜八監督自身も、昔の『キネマ旬報』の「自作を語る」というコーナーで「独立愚連隊、西へ」について、「兵隊ごっこを一生懸命やった」と言っています。確かに今見ていて、ふざけたことを大真面目にやっている。それを魅力的に見せているのは監督の意図や演出とともに、何より役者さんだなと思うんですよ。監督の撮り方は絵コンテだということなので、やっぱり当時の役者の力というのは大きかったんだろうなと、今日も見ていて思いました。間違いなく岡本監督への信頼と安心感も関係していると思いますが、 加山雄三しかり、佐藤允しかり、演技だけではない、人間としての魅力が出てるなと思いました。
司会・荒木: 映画監督としてキャスティングはとても重要だと思うのですが、この映画が作られた時代と違って今はスタジオシステムがなく、所属の俳優さんがいるわけではない。今の時代にキャスティングをするというのは、昔よりずっと手間がかかると思います。監督として悩んだりすること、その辺をちょっと教えて頂けたら。
石井: 写真家の藤原新也さんが著書で、「最近の男はキンタマっぽくない」「男根の匂いがしない」という風に言っていて。最近は草食系男子とか言われていますけど、男からいわゆる雄(オス)としての匂いがなくなってきて、それがどんどん顕著になっていると思うんです。『独立愚連隊西へ』などの時代の作品を見ると、そういう演技をしているというのもあるのだろうと思いますけど、男根的な雰囲気を感じます。それは羨ましいというか、本能的に求めている部分かもしれない。
真利子: 今、成り立つかどうか。
石井: 今の役者で、ですよね。
真利子: 最近だと韓国の役者からはそういう印象受ける時ありますけど、ぼくは日本の映画でもこういった芝居、真正面な芝居をいつか堂々とやってみたいとは思います。
石井: 今の俳優さんはCMに出なきゃいけないですから、イメージが結構重要になってしまう。それは大きいですよ。
司会・荒木: 昨日のPFF前夜祭で『キャタピラー』(若松孝二監督)を上映し、寺島しのぶさんにもお越しいただいたのですが、寺島さんのマネージャーさんとしては、脱ぐとか、過激な役は躊躇(ちゅうちょ)するところがあった。でも寺島さんご本人が脚本に惚れ込んだということがあって演じられて、それがイメージに悪い方に響いたとは、ご本人も事務所もお客様も思っていない。私は「やるところまでやれば大丈夫なんじゃないか」という気が、あらゆることに対してするんです。
真利子: 去年、『春との旅』(小林政広監督)の現場に行ったのですが、主役が仲代達矢さんで、約一ヶ月間、毎日、目の前でお芝居を見ながら大きな感銘を受けました。「死に近づいていく」という役柄を、日々、体から滲ませていく。お芝居もすごく力強かったり、すごく引いたりしているので、映画ができていく現場を見ながら、人間ってすごいなというのが、その時の一番の感想でした。
司会・荒木: 訓練が違う感じですか?
真利子: どうなんでしょうか。確かに小林正樹監督の「人間の條件」での現場のことを話されていましたので、そうした経験から培われるものであると思いますが、今はできないのではなくて、意識としてそこまで集中できるかではないかと思ってます。・・石井裕也監督、役者としては如何ですか
石井: なんていうか、いろいろ説明が難しいんですけど。自分の映画とかに、ちょっと役者として出たりはします。芝居が上手い下手とか、役に入り込む入り込まないとか、そういうメソッドの問題は僕には正直よく分からないんです。だからそういう基準で昔の役者と今の役者を比較して、「今の役者は甘っちょろい」ということは言えないと思います。ほんとに顔とか、人が醸し出すオーラみたいなものでしか言えないと思うんです。
真利子: 例えば、『川の底からこんにちは』(2009年)の時に、主演に満島ひかりさんを選ばれたのは、何故だったんですか?
石井: 一年半前ですね。
真利子: 満島ひかりの出演されている『愛のむきだし』(2008年、園子温監督)の上映は終わっていたんですか?
石井: 観ることは出来たくらいでしょうか。当時もそうだし今もそうなんですけど、基本的には自分で決めません。
真利子: え! まさか、です。驚きました。
石井: 「決められない」というのもあるし、「決めようともしない」というのもあります。この俳優じゃなきゃいけないとか、色々あるじゃないですか。そういう制約がある中で、演出家はその人が持っている魅力を引き出すことしか出来ない。競馬のジョッキーと同じで、ジョッキーが乗ったから馬が速くなるわけじゃない、逆に馬は遅くなる。だからなるべく邪魔しない、良いところを活かしてあげるだけ。そんな感じでしょうか。
真利子: 性能を出すということですか。
石井: 性能、性質とか、良さを出す。良さとか魅力を一つも持っていないという人は、理論的哲学的に考えていないと思うんですけど。もちろん、良さや魅力が1個の人もいれば100個の人もいるかもしれないですけど、現場ではそれを引き出すことだけを考えています。
音と映像。フィルム世代とデジタル世代
真利子: なるほど。ところで絵コンテは描くほうですか。岡本喜八監督との絡みなんですが。
石井: 岡本喜八監督の遺作である、真田広之さん主演の『助太刀屋助六』(2001年)のDVDの特典映像で、編集マンの方が出て来て言っていたのですが、人が歩いているカットとかで、岡本喜八監督は何歩でカットをつなぐとか、歩数まで計算している。1,2,3,4,5,6カットみたいな。確か7歩とか、奇数だったと記憶しているんですが、そういうリズミカルな編集をしている。リズムを出そうとしているんじゃなくて、体に染みついているんだと思うんですけど。
真利子: 『フォービート・アルチザン 岡本喜八の映画音楽』(2002年)という映画音楽CDも出ていますが、何かあるんですよね、フォービート。
石井: あると思いますよ。この映画も最初のタイトルバックのところから、イーアルサンスー×2、なんとかなんとかボーンボーン! ですもんね。爆薬が。
真利子: そうですね。実際アクション繋ぎも多いですし、特徴的ですよね。
石井: 映画の冒頭に、フランキー堺さん(梁隊長)と加山雄三さん(左文字少尉)のマラソンのシーンがあるじゃないですか。あれも恐らくもの凄い数のカットバックをしている。ソロバンのカットが20回くらい何回も出てくるんですよ。「カチャ!」というソロバンの音が鳴っているんですが、「カチャ!」を入れたいところに、ソロバンのシーンを抜いて入れていくんです。
司会・荒木: 真利子哲也監督の反応が面白くて(笑)。
真利子: はい(苦笑)。
石井: マラソンのシーンが、最初に言った「音楽的な演出」が一番顕著に出ていると思います。加山さん(左文字少尉)が走っていて、女たちが走っていて、後ろからフランキー堺さん(梁隊長)が走っていて、それを横から、こう細かいカットで抜いていく。
司会・荒木: それをちゃんと、設計図として絵コンテ使っていたというのが、岡本喜八監督のやり方だったと。
石井: あそこまで岡本喜八監督、絵コンテで割っていました? あんなカットバックまで事前に考えられるものなんでしょうか。
真利子: 絵コンテは見たことはないですけど、カット数が多いというのは凄く有名ですよね。
司会・荒木: お二人は割るんですか?
真利子: いや、基本的には自分だけで把握して現場で判断します。前にすべて割った上で共有しながらやってみたのですが、上手くいかなくて。やり方だと思うので、今後は分からないですけど。
石井: 僕は事前にはあまり割らないし、今後も割ることはないと思います。絵コンテも描かないし。
司会・荒木: じゃあリズム感というのはどういう風に。
石井: 脚本の時点で、わりと音を重視して作るんです。「まあ、そうだな~」の「まあ」とか、「なんとかじゃ、ないかな~」とか、助詞とか感嘆詞まで気にしてリズムは作っています。
司会・荒木: 脚本書きながら声に出していますか。
石井: 出しています。音を作ってから、画をはめていくという感じです。
司会・荒木: そのやり方が自分に一番合うと、発見したきっかけはあるんですか?
石井: それを発見したのは、確か20歳ぐらいの時でした。当時パソコンで編集していた時に、いっぱいカットを撮ってしまったシーンがあって、良い画を使いたいがために編集していたんですけど、何か上手くいかない。ところが、まず音を編集して、音のリズムを作ってから画をはめたらバッチリ上手くいった。映像よりも音の方が、僕の中で優先度は高いです。
司会・荒木: 台詞に対しては。
石井: かなり敏感ですね。
真利子: 音程はどうですか?
石井: 音の高低は重要だと思います。低い声の人って説得力があるんです。加山雄三さんがすごく低い声で、「じゃあ進めっ!」と言ったら皆動けますけど、声が裏返っていたりすると「あれ?」ってなるじゃないですか。
司会・荒木: 真利子哲也監督は音よりも動きですか。
真利子: そうですね、お芝居やってもらってから考える、というのが多いので。
石井: でも『イエローキッド』では、音をかなり貴重面にやっている感じがしましたよ。
真利子: う~ん、自主映画は8mmフィルムから入ったんですが、8mmは音がとれないんですよ、映像だけしか撮れない。それでずっとやっていると、音というのを「どうやって入れよう」と撮りながらずっと考える。逆にデジタルビデオで撮るという時に、「音も入っちゃうんだ」ということで撮れなくなったりしたんで、すごく音を気にする方ではあると思います。
司会・荒木: 確かに、8mmフィルムから経験したかデジタルから経験したかで全く違うというのが、昨今明確になってきたという感じはします。8mm時代では音は作るものだけど、デジタルから始めた人たちは最低限何か音があるという前提で来ているので、音に対する感覚が世代によって全く違ってきているのではないか。PFFも、今年のカタログ巻末にはそういったワークショップのことも載せています。そのへんの感覚でいうと、真利子哲也監督が最後の8mm世代の自主監督かもしれない。
石井: 真利子哲也監督はその世代じゃないけど、使っていた。
真利子: 使ってしまっていた。
司会・荒木: 真利子哲也監督が名作と呼ばれる8mm作品をたくさん作られていることに、やっぱり音にも関係してくるのだなと。面白かったです。
--- 質疑応答 ---
司会・荒木: お客様の中でお作りになっているかたもいらっしゃれば、たくさんご覧になっている方もいらっしゃると思うんですが、どうぞ質問を。
観客: 「ロケ地はどこだろうか」と、ずっと思っているのですが。
石井: ロケ地の話がこの前も打ち合わせの時に出たんです。「御殿場かな」とか「千葉かな」とか、飲みながらなんですが。僕が「実際、中国に行って撮っているんじゃないですか?」と言ったら、「まだ日中国交正常化の前だから」という至極当然なツッコミがありました。
司会・荒木: 中国には行かないでしょうね。ただ、当時の映画は戦地を舞台にして東京近郊で行けるような色んなところで撮っているケースが多いので、意外に近かったのではないか。例えば深作欣二監督の『軍旗はためく下に』(1972年)は、千葉で撮ったと伺いました。
真利子: 岡本喜八監督は鳥取出身ですから、鳥取かもしれないですよね。
---岡本みね子さんの証言---
司会・荒木: 実は、岡本喜八監督のご夫人の岡本みね子さんがお越しになっています。さっきから岡本さんにお話し伺おう、伺おうと思いながら苦しくトークをしていました(笑)。
岡本: ごめんなさい。変なとこ紛れ込んで。話しづらいでしょ、ごめんなさいね。石井・真利子: いえいえ。
岡本: お2人のお話を聞きたくて来ました。今日はどうもありがとうございました(会場から大きな拍手)。ロケ地は、御殿場とですね、今は新百合ヶ丘になっているところに東宝のオープンがありまして、セットは恐らくそこのオープンセット。今は団地になって綺麗になっていますけど、昔は全部あの辺で撮れました。そこに、阿久根巌さんという非常に素晴らしい美術監督がいまして、セットを立てました。あと爆発のところは全部、御殿場です。もうあの、あんまり爆薬使ったので、帰ってきて始末書を書かれて。あたしが(1960年に)お嫁に行って、最初にロケに行って作った写真(映画)でした。今のラストシーン、ちょっとエピソードですけど、アヒルが2匹歩いていますよね。2人とも動物が好きで、アヒルって色っぽいですよね。それでホントは監督は、最後引いといて、ウワーとアヒルのお尻によって、アヒル2匹がゆらゆら揺れているところで、「どーんとエンドマーク付けたい」って。私すごく賛成で、凄い楽しみにしていたんです。そしたら御殿場から電話が入って、そうじゃなくても怒られて「帰れ、帰れ」と毎日言われていて、今も見て分かったと思うんですが、とてもとても風も酷かったので、あれ撮るだけで精一杯でアヒルのバックは撮れなかったって。「しょうがないから諦めて帰るよ」と言った台詞を今思い出しまして、何かジーンと涙が出るような気持でした。本当に、何十年ぶりで見ましたので、前見た時には忘れていて、私は戦争映画ってあんまり好きじゃなかったんですね。だからあんまりその時には感じなかったんですけど、今お二人のお陰で見せていただいて、とても嬉しくて感謝しております。幾つかおっしゃったことで、お返事できることあると思います。ありがとうございます。それからこんなに来ていただいて、お若い2人の監督だからだと思うんですけど、もし喜八が生きていたら一番喜ぶことが、喜八の映画にはほとんど女の人は来なかったんですよね。特に若いお嬢さんなんて全然いなくて。映画館行って並ぶと男のお便所がずっと、女の人のほうはがカラカラで、で帰ってくると「何人いた?」とか言って喜んでいましたから。多分モテない喜八さんとしては、お墓の下から、今日はこんなに若いお嬢さん方含めて来ていただいたことを、とても感謝していると思います。ありがとうございました。今後ともどうぞ宜しくお願い致します(会場から大きな拍手)。
司会・荒木: 岡本みね子さんと言えば、学生時代に岡本喜八監督を大学の上映会にお招きしたところでロマンスが芽生えて、ずっと一緒に映画を作ってらした。
岡本作品とリズム
岡本: さっきお二人がおっしゃいましたことで、リズムの話が出ましたよね。喜八のリズムというのは、目がパチパチと開きますと、パチパチでフィルム2コマ、パッパッで4コマになるんですよね。それで、その4コマ切るか8コマ切るか。大体8コマ切るか、16コマ切るかで、自然のリズムがとれていて。私も同じこと聞きました。それで、カット繋ぎでとりますね、その時に普通だったら、「ズンチャッチャッ」とか「ズンチャー、ズンチャー」とかいきますね。それが「ズンチャッチャ、ズンチャッチャッ、ズンチャーズンチャー」と、ゆっくりこういきますよね。で、外すっていうんですけど、映る時に3拍子になるんですね。「ズンチャッチャ、ズンチャッチャ、ズンチャッ! チャ!」というと引っかかるので、そこでカット尻は変わるっていうように、あたしは聞いたんですけど。そんなところでございます。
石井: なるほど、ありがとうございます。確かにそうだと思います。リズムが例えば4拍子で、心地良いですけど、それじゃ2時間持たない。どこかで変拍子にする。
岡本: そうなんですよ、同じだと眠くなっちゃう。やっぱりポンと変わる。トンと、音が途中で飛ぶキッカケが、画だけでは切れなくて、音で切っているときがある。喜八さんの、そこのところがお好きになってくださった。今まで黒澤明監督とか凄い方を好きだという若い方は、いっぱいいらっしゃったのですけど、「喜八が好き」というと皆に軽蔑されるんで。あたしはもう、何かちょっと狂った監督さんだと思うので。あまり重みがないものですから、喜八さんというのは。だから若い方にはあんまりだったんですけど。ただ彼が目指していたところは、助監督で貧乏でラーメンが大好きだけど食べられない。「ラーメンを食べるか、映画を見るか」だったら、ラーメンを食べないで映画館に飛び込んで、映画見たあと、「腹が減っても映画を見て良かった」と思う映画を作りたいというのがあの人の理想。その時はただ楽しくていい。帰って数日くらい経ってから何か一つ残って、それが何かに、頭の中に残ればいいんだと。映画は勉強しに行くのではなくて、楽しみに行くのだから。「僕はもう、難しい映画は自分も分からないから」、とにかく「ラーメン一杯よりは価値のある映画を作りたい」というのが彼の理想だった。そういう意味のエンターテインメント性というのはあるかもしれない。だけどあんまり立派じゃないですから。ありがとうございました。
石井: とても分かりやすい解説でした。
司会・荒木: 映画には絶対にファンタジーが求められていると思うのですけど、『独立愚連隊西へ』は、ほんとに「ファンタジーってこういうこと」というのが伝わる映画でしたね。
真利子: それでいてリアリズムもあってというのが、やっぱり岡本喜八監督の魅力かなと思います。
司会・荒木: あの世代の監督の粋さというか。
岡本: そうですね、お二人、シャイでしょ。岡本喜八は、すごく論理的にきちっとではなく、「俺は活動屋で映画人にはなれないから」とう言い方をしていました。そういう意味で言うと、理屈じゃなくて人間を見たいというんでしょうかね、そういう部分があったので、ちょっと人間臭いことになったのかな。
加山雄三を役者にした
岡本: それから役者さんてさっきおっしゃっていましたけど、主役の若大将(加山雄三)が素人さんで、「役者やるの嫌だ」と言っていた。それで半年ほど喜八と山男が「他の職業よりもお金になるから」って説得して、就職決まっているのに役者さんにしちゃったんです。ご本人はもう役者イヤで、慶応出て就職決まっていたんですが、「ロケ行くと旨いもの食わせる」とか皆でウソついて連れていって。若いうちってお金が欲しいじゃないですか。「エキストラみたいのやると、こんなに金になるんだよ」とか皆で騙して、それでとうとう役者にしちゃったんですね。それで責任あるっていうんで、「じゃあ俺が一生懸命やるよ」と言って。山男の親友がいて、その親友がちょっと(加山雄三の)家族と親しかったの。お父さん(上原謙)は役者にさせたかったけど、本人は嫌だった。だから『独立愚連隊西へ』は加山雄三の2~3本目で、訓練も何もしていない。
マキノ雅弘監督と岡本喜八監督
岡本: ただお二人もそうだと思うんですけど、演出する時に「踊る」って分かりますか? キャメラがあると普通は照れちゃうのに、映画監督ってキャメラがあると何でもやっちゃう。お二人もそうだと思うんですけど、普段テレていても映画撮る時は全然テレてなくて、どこか鬼みたいになったりする。それで踊って見せて、役者さんが下手な場合には形で見せて。だから上手な役者さん使うよりは、下手な役者さん使った方が良い映画になったりするんですよね、喜八さんの場合は。上手なお芝居の方っていうのは、大事にし過ぎてちょっとキレイすぎるところが、なかなか入り込めないところがある。あんまり上手くないと、どんどん「ああした方がいい」「こうした方がいい」とか言ってね。
司会・荒木: それは師匠のマキノ雅弘監督と似ていますね。当てぶりを自分でして。
岡本: そうです。普段口も利かないような人が、キャメラがあると顔までこんなになってやっていましたから。多分お二人もそうだと思います。本人たちは気が付いていないんでしょうけど。
真利子: 目が違うって言われますね、撮っている時は。
岡本: やっぱりそうでしょ。客観的に見ていると、キャメラが隣にある時はもう別人だと思った方がいいんです。無意識のうちに、お芝居じゃないですけど、やっちゃうと思いますよ。
司会・荒木: 石井裕也監督やりますよね。
石井: やります。
岡本: つまんないこと、すいません。どうぞ戻しますので。
司会・荒木: 今のお話に出ましたが、岡本喜八監督はマキノ雅弘監督のお弟子さんで、すごく影響あるのかなと思うのは、よく「ワッショイ、ワッショイ」といって役者さん走らせますよね。マキノ雅弘監督がよくやる手法で、伝統って感じがします。
真利子: 助監督に付いたということかもしれないですけど、いま映画を撮っていると、そういう上下関係には本当に憧れます。岡本喜八監督がマキノ雅弘監督から「レンズを知れ」みたいなことを言われた、と何かの文献で読みました。「レンズとは何か」を知らなきゃいけないと学んだそうです。そういう関係性があるからこそ、例えば『独立愚連隊西へ』でいうと、レンズの特性を生かして霧がある時に撮影したのではないかと思います。
石井: 「これは知っとけ」みたいな。
真利子: そうです、今はなかなかそういうのがない。自主映画を撮って、いきなり監督になるというのが多い。今は今のやり方があり、どちらがいいのかは分からないですけど、やっぱり羨ましいという感じはありますよね。
司会・荒木: 石井裕也監督は、そういうのは感じますか?
石井: 毎日は思わないですけど、逸話とかを聞くと思ったりはします。
司会・荒木: 確かに、「どうしたらいいんだ」と立ちすくむ瞬間はありますよね。周りに誰もいなくて、でも期待の目は集まっていて。
真利子: 自分はまだ期待を受けてないので、その辺は大丈夫です(笑)。
映画を撮ることと、見ること。映画の重みと軽み
石井: 僕は映画少年では一切なくて。昔の映画監督についての逸話とかで、その当時は入れ替え制がなかったから「中学校抜け出して、ずっと1日映画を見ていた」とか、よく言うじゃないですか。僕にはそういう体験というのはありません。真利子哲也監督は東京出身なので、ちょっとあるのかもしれないですけど。
真利子: 石井監督は埼玉ですよね?
石井: 浦和です。映画館はあったのですが、東宝系と松竹系くらいで、自転車で30分ぐらいかかりますし、そんなに身近じゃなかった。しかもビデオ全盛期で、高校生くらいの時にDVDが出たんでしょうか。そういう時代状況なので、14インチくらいの小さなTV画面で映画を見るのが普通でした。上の世代の人から「映画は劇場で見なきゃ」とか「いっぱい見なきゃいけない」とか言われると、だから悲しい気持ちになるんです。
真利子: そうなんですよね。映画館で見ている本数と、DVDで見ている本数と、どちらが多いかと考えたら、ぼくらの世代的は「DVDだな」と思うんです。40代くらいのある映画監督に聞いたら、「間違いなく映画館だ」と言っていた。確かにぼく自身、二十代半ば頃には映画館で観ている本数が多くなったと思いますが、一応、映画の関係者ですからね。映画というもの自体の一般的な受け止め方が、世代で違ってきているのかなと思いつつも、映画を作ると「映画館で見てもらいたいな」という気持ちは多分一緒なんです。でも映画館とDVDとで受ける感覚が違う。この間、石井裕也監督と事前に会う時、その前にDVDで見たんですけど、やっぱり劇場で見た方が良い、何とも言えないですけど良い。そういうのが伝えられたらとは思っています。
石井: 長編の劇映画を撮る時は、やっぱり劇場で上映される感じをイメージして作ります。だけど全く観てくれないんだったら、DVDでも観てほしいというか。劇場かDVDかという話題に関してはグレイというか、回答をちょっと保留にしたい気持ちです。だけど映画の存在、その重要性は確信しています。
正直政治なんかに全く期待できないじゃないですか。みんな呆れていると思うし。そういうものではなくて、もっと精神的な、生きていく上で重要なものを映画は表現できると思っています。政治に対するむかつきとか憤りみたいなものは、あるにはあるんですけど、それこそ世代が違うな、とは思っています。そこで重要なのは、さっき岡本みね子さんもおっしゃられた、「軽さ」というか「軽妙さ」だと思っていて。直接問題に対して真正面からぶち当たっていくよりも、ある種の軽妙さでうっちゃってしまう、そういうのが大切な時代なのかなと。落語とかもそういうことをやっていると思うんですけど、僕もそのあたりは強く意識しています。スクリーンで観るとかビデオで観るとかはただのメディアの問題で、それよりも重要なものがあるんじゃないかなと僕は思います。
真利子: 映画をいっぱい見ていると、見たい映画があっても、岡本みね子さんがさっきおっしゃったように、勉強している風に見てしまうことがあるんですよね。個人的な興味とか知的好奇心なんかも関係しているので、娯楽でなくとも色々あっていいのですが、でもやっぱり映画は、第一に楽しむためにあるはずです。
司会・荒木: 難しいですよね。職業になってしまうと、どうしても仕事の目で見てしまう。それを脱する方法、テクニックを自分の中で見つけないといけない。
石井: 僕は、今のところは見つけられてないです。
司会・荒木: 映画監督になってしまうと、例えば中学生の時と見方が変わりましたか。
真利子: ほんとに変わりました。岡本喜八監督がジョン・フォード論を書かれているので知ったのですが、岡本喜八監督はジョン・フォードを見て映画を好きになって、『独立愚連隊西へ』みたいな西部劇っぽいものを撮ったり娯楽を追及したりというのはすごくシンプルで、そういう映画との接し方でありたいなと思うのですけど、なかなかそこまでシンプルに出来なくなってしまったのは、難しい問題だなと思います。
司会・荒木: シンプルになる方法。何か人生と普遍的に繋がる感じですね。
石井: そうかもしれないです。
司会・荒木: 今こうやってお話伺っていると、20代のお二人は、「何らかの軽みを追及できないか」というところで共通していて、面白いなと思いました。映画に限らずものを作る人たちの作品をいっぱい見ていくと、皆さん面白いことがあるので、是非色んなものを見に来ていただきたい。
石井裕也監督と真利子哲也監督は、これから何十本とずっと作品を作っていくと思いますので、今日をご縁にずっと見続けていただけたらと思います。
今日は長い時間お付き合いいただき、ありがとうございました。