アーカイブス

第5回 12月12日(土)13:30~18:30

上映作品:
上映作品:『マタンゴ』(1963年) 監督:本多猪四郎
『マルサの女』(1987年) 監督:伊丹十三

ゲスト:本多俊之(作曲家・サックス奏者)

1957年生。大学在学中の1978年に初のリ−ダ−アルバム「バ−ニング・ウェイヴ」を発表。
以来、内外の著名ミュ−ジシャンと共演。日本を代表する、サックス奏者である。
作曲家としても、TVドラマ、CM、映画、舞台、クラシック音楽まで多才な才能ぶりは良く知られるところ。
映画「マルサの女」では日本アカデミ−賞最優秀音楽賞を受賞。
08年は映画「築地魚河岸三代目」「秋深き」が公開され、09年もアニメーション映画「よなよなペンギン」が全世界公開予定。
既に26枚ものオリジナル・アルバムをリリースし、サウンドトラック・アルバムも多数リリース。

聞き手:釘嶋峰幸(音楽プロデューサー)

1957年生まれ。立教大学卒業後、CM音楽のプロデュースを手掛け、資生堂を始 め、様々なCM音楽をプロデュース。
その後ソニーミュージックグループに転職。レコーディングプロデューサーとして活 躍。新人発掘にも従事し、ソニーミュージックグループのSD(新人開発部)にてPuffy, 中島美佳等を発掘育成する。
又映画音楽や、アニメのサウンドトラックのプロデューシングも行う。
2004年SMEを退社、現在は株式会社ゴイス 代表取締役。
作品 Voice「24時間の神話」有線新人賞受賞。アニメ映画サントラ「3丁目のタ マ」「東京バビロン」等。

聞き手:船曳真珠(映画監督)

1982年生。東京大学在学時に自主制作した監督作『山間無宿』(00)が調布映画祭でグランプリを受賞。以降も自主制作で映画作りを続け、映画美学校フィクション科を経て短編『夢十夜・海賊版「第五夜」』を監督、同作は07年に吉祥寺バウスシアターで公開された。06年東京芸術大学大学院映像研究科に入学、在学時に監督した『夕映え少女』と卒業制作『錨をなげろ』は共に08年に渋谷ユーロスペースで公開された。
09年には初の長編劇場作品『携帯彼氏』を監督、同作は全国30館以上で公開中。

13:30〜15:40(2時間10分)
ゲストからコメント(約5分)
『マタンゴ』映画上映(89分)
『マタンゴ』についてトーク(約30分)…本多俊之さん+釘嶋峰幸さん+船曳真珠監督
15:40〜15:50(10分)
休憩
15:50〜18:30(2時間40分)
映画『マルサの女』について(約30分)…本多俊之さん+釘嶋峰幸さん
映画上映『マルサの女』(128分)
(なお上映後のトークはありません)

アーカイブ

開催の挨拶

伊達:皆様、本日はお越しいただき、ありがとうございます。司会の伊達浩太朗です。
尾﨑:女優の尾﨑愛です。宜しくお願い致します。
伊達:本日は、この2人で司会・進行を務めさせていただきます。どうぞ、宜しくお願い致します。
尾﨑:各界で活躍されているゲストの方に日本映画の良さを語って頂き、日本映画の魅力を再発見していくこの企画。本日は第5回目で、サックス奏者で作曲家でもある本多俊之さんをゲストにお迎えしています。本多さんに本日上映する映画のセレクトをしていただき、釘嶋峰幸さん、船曳真珠監督と対談していただきます。では、そろそろゲストの方々に登場していただきたいと思います。

ゲストの挨拶

本多:どうもこんにちは、本多俊之です。
釘嶋:どうも釘嶋峰幸です。
本多:今日はまず『マタンゴ』(1963年)を選ばせていただきました。この映画は当時東宝で作られた特撮映画の潮流の1つで、当時3つの流れがあった。いわゆる「怪獣」シリーズと、怪獣が出てこないけど特撮を使った「空想科学」シリーズ。
釘嶋:潜水艦とかね。
本多:そしてもう1つが「変身人間」シリーズ。『マタンゴ』は「変身人間」シリーズに属するんですよね。
釘嶋:属します。
本多:「変身人間」シリーズで有名なところだと、『ガス人間第1号』。
釘嶋:それと『電送人間』(1960年)。
本多:あと『美女と液体人間』(1958年)とか。『ガス人間第1号』(1960年)は2009年に舞台化され、そちらのほうが凄く有名です。その次が『マタンゴ』。これは本当に怖い映画です。
釘嶋:今日いる人で、見たことない方もいらっしゃいますよね。
本多:あまり内容は話さないほうがいいですね。僕が言いたいのは、ホントに怖いってことと、暗いってことと、陰惨だってことと、救いようのないってこと。あと水野久美さんがホントに色っぽい。
釘嶋:私と本多さんは東宝特撮映画の大ファンなのですけど、水野久美さんはその中でよく主演をなさっている。私たちの幼少のころから憧れの女性で、何度かラブレターを書きました。
本多:返事は来ました?
釘嶋:全然来ないです(笑)。怪獣映画で水野久美さんはいつも儚げでした。
本多:どちらかというと清純な感じの役柄が多かった方なのですけど、この映画ではね。
釘嶋:どんな感じなのでしょうか。その当たりも是非楽しんでいただきたいと思います。


--- 映画『マタンゴ』(1963年)の上映 ---

司会・尾﨑:皆様、如何だったでしょうか。ではこれから本多俊之さんと釘嶋峰之さん、船曳真珠監督に映画『マタンゴ』についてお話をいただきたいと思います。

本多:凄かったですね。なかなか見るのにエネルギーのいる映画です。フィルムだとやっぱり暗さが、凄く怖いですね。
釘嶋:奥行きが違うというか。久しぶりに見てジーンと来ました。

様々な役者たち

本多:水野久美さんが凄いでしょ。
船曳:凄いです。
釘嶋:水野久美さんは『怪獣大戦争』(1965年)での宇宙人の役など、特撮映画においては必ず良い人の役なんですけど、なぜかこの映画だけは魅惑的で色っぽい。私が見たのが少年のころなのですが。
本多:そういえば私も幼稚園児でした。
釘嶋:父親に連れられて見た。たぶん私の父親が水野久美さんのファンだったと思うんです。
本多:子供心にも、水野久美さんの口紅の赤さっていうのは、本当に印象に残っちゃって。悪女とかそういう観念はまだないけど、「こんなお姉さんがいたら、ついてっちゃうなあ」という感じはありましたよね。
釘嶋:そのあと、実際についてっちゃったんですよね(笑)。
本多:ええ(笑)。実はですね、その後に仕事で水野久美さんにお会いすることがあって、1ヶ月くらい毎日お顔を合わせていた。一緒のお仕事で。
釘嶋:お話聞いていて、私は羨ましくて。しかも『マタンゴ』の。
本多:そう、『マタンゴ』のDVDを持っていってサインしてもらった。で、聞いたんですよ、「この映画どうですか?」と。そしたら「これがこのシリーズの中では一番気に入っている。これだけ悪女に徹したのはあまりないので、私的には一番気に入っている」と。

釘嶋:あとマニアックなこと言いますけど、マタンゴの声、どこかで聞いたことありません?
本多:TV番組の「ウルトラQ 」(1966年)とかに出てくるケムール人と、バルタン星人でしょ。
船曳:そうなんですか?
本多:そうなんです。ちなみに俳優のクレジットで、マタンゴ役に天本英世さん、「仮面ライダー」(1971~3年)の死神博士が出ていたよね? あれが一番最初に出てきた、なりかけのやつでしょ?
釘嶋:天本英世さんね。
本多:自分で「やらせてくれ」と言ったらしいですよ(笑)。
釘嶋:あの人らしいね(笑)。2003年にお亡くなりになりましたけどね。
本多:TVの「平成教育委員会」(1991年~)とかに出られていた。個性的な方でしたよ、本当に。
釘嶋:その後、10年くらい前なんですけど、ゴジラとキングギドラとバラゴンとかが戦った『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)に天本英世さんが出てきて、オカルトチックな役で「う~、日本大和の国を守るんじゃ」とか、そうやって出てきた(笑)。
本多:そうなんだ(笑)。
釘嶋:びっくりしますよ。私は天本英世さんの大ファンでしたから、亡くなった時は線香あげました。
本多:あと中島春雄さんの名前もあった。ちゃんとスーツの中に入ってらっしゃるみたいだし。この映画は、実は水野久美さんをはじめ、爽やかな感じの役が多い役者さんたちが沢山出ている。佐原健二さんなんかは、「ウルトラQ 」のパイロットや、「ATTENTION PLEASE アテンション プリーズ」(1970年)の三上教官だし。
船曳:小泉博さんの消え方が壮絶でした。
本多:あれ酷いよね~。「お前がそこで消えるのか!」と言いたくなる。
釘嶋:一番人が良さそうなのに、真っ先に逃げる。本多猪四郎監督が凄いと思うのは、なんていうかこの心理劇、舞台だよね。ある種の舞台心理劇的なところも尽くしていて。大体これ子供が見ちゃいかんですよ。見たらビビります。

想像力を刺激する

本多:やっぱり、最近の映画は見せ過ぎだと思うんですよ。最初の方から見せちゃうでしょ? 見せない怖さっていうのは、凄くイマジネーションが豊かになるし。これ、もしかしたら最後までマタンゴが出なくても良かったかもしれない。
釘嶋:そうかもしれないね。「何だろう、何だろう」って思わせるうちに終わらせてしまう。
本多:このテクニックというのかな、凄いと思うんですけどね。
船曳:そうですね。それと、人が「ワー!」と襲われるのではなく、知らず知らずのうちにキノコに取り込まれている。この侵食されていく感じ(笑)。
釘嶋:しかもね、女の人が「美味しい」って食べ方する(笑)。大人になって見ると、ますます怖くなっちゃうよ。1963年の作品だから、特撮も今のCGに比べると稚拙なんだけど、恐怖感とかね、どうですか?
船曳:徐々に徐々に盛り上げていくっていう手法は王道なんですけど、「これおかしい、これおかしくなってっている、どうもおかしい」という流れの作り方がホント素晴らしい。例えば最初にカビだらけの船内が出てくるじゃないですか。初めは普通のカビなんだけど、だんだん色の付いた変なのが出てきて、「あれ? おかしいよね」という風にどんどんなっていく。

釘嶋:映画監督として、ああいう擬人化、例えばキノコがどうのこうのなるのとかって、発想します? キノコが人間になる、とか。
船曳:本多猪四郎監督の恐怖の描き方、例えば原子力とか、恐怖の対象が凄く現実的だなって思って。
釘嶋:リアリティがある。
船曳:そう、リアリティがある。この作品も化学汚染など、現代社会の行き過ぎた文明化を描きたかったんだと思うんです。そういう想像力って本当に素晴らしいなって。
釘嶋:あの難破船に、なぜか放射能測定器がある。
船曳:そうなんですよね。
釘嶋:しかし、あの時代にあの難破船には古いよな、ちょっと。
本多:古いけど、あの美術は凄いよ。
釘嶋:確かに凄い。見ていてパっと思い浮かんだのは、昔だと『白鯨』(1956年)とかね。ああいうイメージが凄くあって、それが霧の中でしょ。いや~、当時の日本凄いぞと。
船曳:そうですね。美術も本当凄いですし、撮影から何から。それに今日見たら、本当にプリントが綺麗で感動しました。
釘嶋:綺麗でしたね。東京国立近代美術館フィルムセンターの保存状態はさすがというか。やっぱり35ミリって良いですね。
船曳:良いですね。
本多:全然違うんですね。
釘嶋:光と闇の世界が違いますね。暗さは暗く出るし、底が深いというか、奥行きがあるというか。「本当映画って良いですね」、水野先生がおっしゃっていた。
本多:そうですね(笑)。
釘嶋:是非、若い方にも。これSFだと思って馬鹿にしちゃいけない。色んな人間の葛藤とかが描かれている。
船曳:骨太な作品でした。

『マタンゴ』の映画音楽

釘嶋:あと当時の併映が、『ハワイの若大将』(1963年)。
本多:ハワイつながりなのかな。最初のオープニングロールのとこ、あれヨットでしょ。そこだけ明るい音楽で、あれは意識しているのかな。
釘嶋:本多さんは音楽家だから、音楽の使い方とか気になるんでしょうね。
本多:そう。普通はテーマの曲を作ると、映画の中で形を変えてその曲が出てくるんですよ。でもあの曲、最初の段階でしか出てこない。というか、出てきようがない。ウクレレも出ちゃうしさ。その後どんどん暗くなっていく。
釘嶋:おそらくこの劇伴(映画の伴奏音楽)、まだ絵を見ながら合わせていた部分がありますよね。今はみんなコンピュータでやっちゃうんですが、昔はフィルムを大きなスタジオで上映しながら、作曲なさった方とかが譜面を見て指揮をしながら、コントラバスの「ズーンズーン」という音とかを映像に合わせながら演奏して、録音していた。
本多:後半はコントラバスとか低い音ばっかりになっていく。地獄って感じ、もう。

登場人物のモデル?

本多:そういえば、7人組の男と女たち。金持ちの人たち、いそうですよね。
船曳:そうですね。
本多:あれはモデルがいたって話ですよね。
釘嶋:一番偉そうな社長が堤義明さん。
本多:コクドの堤さんでしょ。あと大藪春彦さんとか。
釘嶋:「あれが大藪春彦だ」、それから「堀江謙一だ」とか。
本多:あの当時、六本木で遊んでいる人たちを「酷い目にあわせてやろう」と思って脚本書いた、という話しを聞いたことがあるんですけど。
船曳:そうなんですか?
釘嶋:確かに「どことなく堤義明」みたいな。いやいや言っちゃいけないですね、そんな。
本多:長い職業人生で、至近距離でああいう方をいっぱい見てきたじゃないですか。
釘嶋:いやいや、違います(笑)。
本多:でも本当に見るとね、「足元見て仕事しろよ」みたいな。
船曳:「自分で食糧取ってこいよ」って(笑)。
本多:あれはちょっと痛いけどね。
釘嶋:あと、「一日歩いてこれだけなの」とか言いながら。
本多:あれはきつい(笑)。
釘嶋:家帰るときつい。
本多:そう、「俺食ってないんだけど」って。
船曳:海ガメの卵、20万円でしたよね(笑)。
釘嶋:そうそう! 凄い要素でしょ?
船曳:凄いです。
釘嶋:是非リメイクにトライしてみてください。
船曳:現代版『マタンゴ』ですね。

マタンゴの語源

本多:司会の方、まだ時間は大丈夫なんですか? 良いみたいですね。では『マタンゴ』の語源について。
釘嶋:『マタンゴ』の語源?
本多:調べたんですよ。「マタンゴ」はもともと「ママタンゴ」で、「ママタンゴ」というのは「マメダンゴ」に由来している。東北の福島県で、キノコの一種を方言で「マメダンゴ」って言うんです。
船曳:へえ~。
本多:本多猪四郎監督が山形県東田川郡朝日村(現・鶴岡市)の出身で、この映画の特技監督である円谷英二さんは福島県須賀川市出身だそうです。
釘嶋:じゃあ、両方とも通じたんだ。
本多:そうですって。
釘嶋:キノコに対してどんな思いで撮られたんですかね。きっと「マメダンゴ、かわいいぞ」と思って撮ったんじゃないでしょうか(笑)。

本多:『マタンゴ』を見てトラウマになった人、いっぱいいるらしいですよ。「キノコ食えなくなった」っていう。俺はキノコ大好きになって、マッシュルームの缶詰ばっかり食っていたなあ、このあと(笑)。
釘嶋:俺エノキはまだ大丈夫だったんだけど、あとはもう、ダメ(笑)。そうそう、この当時CGとかないから発泡ウレタンとかで撮ったそうですよ。
本多:よく知っていますね~。そうなの?
釘嶋:水が出るとシュワシュワってなる。そういうのをこうクシュクシュって。途中で泡が出ていたじゃないですか。あれ発砲ウレタンに何か薬品をかけると、ああなるそうです。
本多:へえ~。

釘嶋:そういえば、東宝特撮の上映会をこちらのフィルムセンターでやられたそうですね(「日本映画史横断③ 怪獣・SF映画特集」2009年1月6日~2月22日、「日本映画史横断④ 怪獣・SF映画特集 Part2」同年5月5日~28日)。その時に、『マタンゴ』はやらなかったそうです。そしたらもう、ガンガンに。
本多:ブーイング?
釘嶋:「何でやらないんだ。どういうことなんだ」と。
本多:そりゃそうですよ。一番最後に謎が残るんですけど、久保明さん、あの人は何で食べていないのに、最後にマタンゴになり始めていた。
釘嶋:確かに食べてないんですよ。
本多:じゃあ何でなんでしょう。もしかして空気感染?
釘嶋:いや~、インフルエンザじゃないかな。
本多:インフルエンザじゃないでしょう(笑)。
船曳:あれだけ囲まれたら、最後抱きつかれていたとか(笑)。
釘嶋:抱きつかれていたのか、もしかすると、マタンゴが海を越えて東京に入っていたんですかね。
本多:あるいはそうかもしれないですよね。根本的な事ですけど、この映画はずっと久保明さんの思い出を語っているわけでしょ。実は一番最初に食っていたとか。
船曳:そうかも(笑)。
本多:それはなかなか色々なこと考えていますね(笑)。
釘嶋:色々な要素が脚本にはある。

濃厚な人間ドラマの展開

本多:船曳監督は『マタンゴ』を始めて見られたんですよね。どうでしたか。
船曳:人間という生き物を描いた、とにかく力強い映画だなと。
本多:そうなんですよ。この頃の映画だから前半が長いのはよくあるんですけど、完全体になる前のマタンゴが出てくる最初の時点で、もうすでに50分くらい経っている。90分の映画で。
釘嶋:思いっきり引っ張っている。
本多:でもそこまでが全然長いと感じない。逆に目が離せない。
船曳:しかも弱々しく逃げ回っているわけじゃなくて、もの凄くタフな人たちで、ナイフを握っていたり銃を構えていたり、女は男を籠絡していたり。

釘嶋:この『マタンゴ』のあとも、本多猪四郎監督は映画をたくさん撮られるんだけど、この作品は本当に救いがない。
本多:救いがないというか、もうなんて言うんだろう。「やっぱり人間って、こうなるんだろうな」というか。
船曳:本多猪四郎監督は『ゴジラ』(1954年)もそうですけど、現代文明に対して警鐘を鳴らすというのか、現代文明を批評するような作品を作られている。その中でもこの作品は、特に人間のドロドロとした嫌な心理の部分をいっぱい見せている。
本多:『ゴジラ』にしても『ガス人間第1号』にしても、最後は怪物も怪人も死んでしまって、「可哀想だな」という悲哀感があるんですけど、この作品はちょっと違うんですよね。マタンゴは生き残っているし。
釘嶋:マタンゴはきっと幸せなキノコ星に行って、生き残った人は「今の東京は」とか言っているのかな。是非リメイクをつくって欲しいよね。若い発想でこれを作っていただけたら、ハリウッドに負けないような脚本性があるしね。
船曳:脚本に厚みがある。大人の映画だと思います。

釘嶋:今回、「どんな映画を推薦しようか」と考えた時に、『マタンゴ』を僕も本多さんも一押しに挙げたんですが、それ以外に考えたのは、やはり特撮の『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』とか。
本多:そうなんですよ。本多猪四郎監督はこの『マタンゴ』のあと、『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』(1965年)その後に『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966年)になっていくわけです。だんだんやっぱり、大きさも大きくなっていくし、怪獣ものと被(かぶ)っていく。
釘嶋:登場する世代も、大人から子供に移行していく。その中でも本当はもう1作品、皆さんに見せたかったのが『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』。これも怪獣映画なんですが、どことなく切ない。
本多:切ないですね。
釘嶋:これもトラウマになるんですけど、人喰っちゃうし。
本多:人喰っちゃいますね。
釘嶋:本多猪四郎監督の奥にある、SFというジャンルを借りて描いた「人間ドラマもの」の原点が『マタンゴ』にあったのかなって。
本多:ありますね。
釘嶋:今日は本当に、ここで35mmで見れて良かった。
本多:本当に。
船曳:ありがとうございました。
釘嶋:すいません、何か、つまらないお話で。

司会・伊達:興味深いお話し、ありがとうございました。ではこれから10分間の休憩に入ります。なお、船曳真珠監督は、本日はここで終了となります。皆さま、どうぞ拍手でお送りください。

--- 10分間の休憩 ---

<本多俊之さんがサックスで『マルサの女』テーマ曲を演奏しながら登場>

司会・尾﨑:素晴らしい演奏を、ありがとうございました。
本多:いえいえ(笑)。

伊丹十三監督と初めて組んだ

司会・尾﨑:ではこれから本多俊之さんと釘嶋峰幸さんに、映画『マルサの女』(1987年)についてお話を頂きたいと思います。
本多:宜しくお願いします。

釘嶋:これからまた映画を見ていただくんですが。この映画『マルサの女』で本多さんは日本アカデミ−賞の最優秀音楽賞を受賞された。
本多:そうです。お陰さまで、ありがとうございます。1988年かな。もう20年以上前です。
釘嶋:早いですねえ。僕たちも若かった(笑)。
本多:そうです(笑)。釘嶋さんは私と同い年ですよね。
釘嶋:同じです。同じ歳です。
本多:伊丹十三監督とは、1986年くらいだと思うのですが、私が29歳の時に初めてお会いした。
釘嶋:29歳ですか。その時伊丹監督はお幾つ?
本多:えーと、同じ干支(えと)で、酉年です。2回り上で、当時53歳ですね。
釘嶋:今日、船曳監督と本多さんが会ったのと、同じような状況だったわけですね。
本多:ホントだ。ありゃ~(笑)。
釘嶋:落ち着かれていました? 伊丹十三監督。
本多:大人でしたね。伊丹十三監督は凄く大人っていうか。自分たちは52歳になって、こんなのでいいんだろうか。
釘嶋:凄いね、人生って。
本多:うん(笑)。
釘嶋:妙に感激していますよ。
本多:2回り上の男の人だから、あんまり何にも言えない。
釘嶋:でもほら、『マルサの女』から始まる「女シリーズ」ってあるじゃないですか。
本多:はい。
釘嶋:宮本さんをねえ?
本多:宮本信子さんも、あっ、女優さんだから年齢を言っちゃまずいか。やめます(笑)。干支だけ言おう。 同じ干支です。
釘嶋:それじゃ、年齢分かっちゃうじゃない(笑)。
本多:うん。でも、あいだの干支ね。
釘嶋:本多さんは、『マルサの女』から始まる「女シリーズ」の音楽を、ずっと。
本多:そう、やっていました。
釘嶋:『マルサの女』の音楽プロデューサーの、立川さんも上だもんねえ。
本多:上です。立川さんってのは音楽プロデューサーで。
釘嶋:立川直樹さんという方がいらっしゃるんですけど。僕らの大先輩で、色んなプロデュースをなさっている方なんですが。彼が音楽監督をやってらっしゃって、本多さんが曲をつくる。

『マルサの女』テーマ曲の決まり方

釘嶋:テーマの発注なんて、どうだったんですか?
本多:元々は伊丹十三監督から「凄くオーソドックスな音楽」をと言われていたんですね。いわゆる管弦楽、バラードですね。で、『市民ケーン』(1941年)、『めまい』(1958年)、『北北西に進路を取れ』(1959年)、『タクシードライバー』(1976年)などの映画音楽を作曲したバーナード・ハーマンのような、そういう感じの音楽にしてくれというのがまず。
釘嶋:大人だわ。
本多:大人のです。私も若かったんで、「そういうのをオーケストラでやれるんだ」と、非常に燃えましてね。デモテープっていうのをやり取りするんですよね、監督さんとはね。
釘嶋:ちなみに、本多さんはストリングスが上手です。当時も若手の中では素晴らしいストリングスを。
本多:いえいえ(笑)。それで、バラードという発注を受けまして、バラードの曲を書いたんです。そして伊丹十三監督に聴かせたら、もうこれバッチリで「この曲で行こう」と。
釘嶋:オープニング曲の予定だったのそれ?
本多:そうです。オープニング曲でもあるし、先程の『マタンゴ』は頭しか流れなかったけど、『マルサの女』ではオープニング曲が全編に流れる。まあアッサリ決まったわけですが、ちょっと余裕があるから「もう1曲、Bタイプの抑えで作ってみてよ」と言われた。で、言い方は悪いんですけど、主人公のヤクザの人が足の悪い人で4拍子で歩けないということだった。それで「5拍子でちょっと簡単な曲を作ってみてよ」と。
釘嶋:ほおー。
本多:その曲は、カーチェイスとか追っかけのとこだけで簡単に使う。
釘嶋:もうテーマ曲があるからね。
本多:そうです。「ちょこっと出てくるだけだから、軽い気持ちで作ってみてよ」と言われて、軽い気持ちで本当3分くらいで作ったんですよ。
釘嶋:そうなんですか。
本多:だってコードが2つしかない。EマイナーとAマイナーだけですよ。もう、基本の基本。
釘嶋:名曲は基本ですね。それにしても、コードが2つだけ。
本多:そうなんです。それで作って、そしたら伊丹十三監督が妙に気に入ってしまって、「いいねこれ! 凄くいい、なんか裏社会みたいだね」と。
釘嶋:確かに、裏社会みたいだね。
本多:私は「あれ、なんか随分気に入っているな。嬉しいな」と思ったんですけど、ダビングが始まったら全部あの曲になっちゃった。
釘嶋:へえー。
本多:私はまだ20代で若かったので、伊丹十三監督のところに1人で行きましたもん。「話ちゃうねん(笑)。あのバラードどうなったんだ」って。
釘嶋:バラードに手間暇かけたんですよね。伊丹十三監督は何て言っていましたか。
本多:「あ、そう? でもこっちもいいよ」と軽くいなされた(笑)。
釘嶋:そうですか(笑)。
本多:今考えると、どっちが良かったかというのは分かりませんけれども。
釘嶋:そのバラードは結局、何も使わなかったの?
本多:使っています。あとで見て頂くと分かると思うんですけど、まあ使われてはいるんです、ちょっとだけ。
釘嶋:楽器は?
本多:アルトサックスと、ストリングスがばーっとなって、ジャズバラードみたいなのが。
釘嶋:「アルトサックスと、ストリングスのジャズバラード」というのが、テーマだった訳ですね。
本多:そうです。
釘嶋:それが本当は、映画の冒頭に出て、中にも出て。
本多:最後にもブワーっと、「ハリウッドー!」みたいな感じで出るはずだった。
釘嶋:エンターテイメントな感じで。
本多:そうなんですよ。
釘嶋:そのはずがこの5拍子に。でもね、これは聴いたときに本当にびっくりしました。
本多:本当はもっと音楽少ないはずだったんです。映画の頭の初めのところから付けたりしているんで、ビックリしましたよ。

なぜ若い僕だったか

釘嶋:伊丹十三監督が、この映画を始まりにして「女」シリーズをつくる。きっと当時の日本にあったエンターテイナーの中で、単に面白いだけじゃなくて笑いもあって結構社会性もある、新しいハリウッド的なものに挑もうと、そういう思いがあったんでしょうね。だから曲をお聞きになって、映像のテンポ感とかというのもあるでしょうけど、そこにあの音楽が非常にマッチしたんじゃないかなあ。
本多:確かに映画をやる場合、音楽というのは全体に影響を与える要素ではありますよね。
釘嶋:そうです。
本多:今日、船曳真珠監督との年の差が判明して思ったんですけど、なんで伊丹十三監督はもっと自分と近い年齢の人と仕事をしなかったんだろうと。普通50歳を過ぎちゃうと、同い年くらいの方が楽ですよ。
釘嶋:もう好みとか言わなくても、お互い分かっている。
本多:そう。何にも言わなくてもさ、分かるじゃない?
釘嶋:作家の名前を言うと、「あ~、あれだよね」みたいなね。
本多:そう。それをなんで当時20代の僕に任せたのか。今になって伊丹十三監督の柔軟性が分かるような気がしますね。「心配じゃなかったのかな」と思います。
釘嶋:いやいや心配だったと思うよ(笑)。
本多:だよね。こんなのに、やらせちゃって(笑)。
釘嶋:結構心配だったと思う。だけどやっぱり、そこにプラスアルファを、本多さんに感じたんだろうなあ。
本多:そうなんでしょうかねえ。
釘嶋:伊丹十三監督がそのとき53歳。その当時思っていた鋭利な物というか、俊之さんに欲しかったんでしょうね。
本多:何かあったんでしょうね。「ユニークでありたかった」とか、色々なのがあったんだと思うんです。

伊丹映画の音楽

本多:面白いエピソードがあって、だいたい伊丹十三監督の場合、気に入ったメロディが決まっちゃうともういいんですよ。普通だと1本の映画に対して、20曲も30曲も作るじゃないですか。
釘嶋:「劇伴」ですね。
本多:そう、映画の背景音楽というか伴奏音楽。それが伊丹十三監督の場合は1曲か2曲でいいんです。メインとサブテーマみたいな2曲があればいい。まあその2曲が決まるまでが大変だったりするのですが、『マルタイの女』(1997年)の時は、特になかなかOKが出なかった。もの凄く悩んで悩んで。
釘嶋:何曲も持っていったとか。
本多:そう。何回デモテープ出してもNOが来て。それで最後に書いて持っていったら、もの凄く喜んでくれた。「これが欲しかった。面白い、これ本当面白い。こんな曲聴いたことない! でもこれ映画で使えるかな?」って(笑)。
釘嶋:使えないの?(笑)
本多:「この人は何を考えているの?!」とちょっと思った。もう全部が分かんなくなっちゃったもん。
釘嶋:そうだよね。音を立てて崩れるよね。
本多:いまだに分かんないっす。
釘嶋:なーるほどねー。
本多:やっぱり視点が違うというか。
釘嶋:違うんだねえ。やっぱりねえ、凄い人だなあ。惜しいなあ、亡くなられちゃったんですけどね。もし生きておられたら、53歳になった本多さんとどんな仕事をしていたのかなと思う。やっぱりこの『マルサの女』から始まる伊丹ワールドというものは、本当に新しいエンターテイメント、日本の映画界を作っていったんだなあという風に思います。
本多:はい。
釘嶋:というようなところで、そろそろ作品を見ていただくのがいいかなと思いますが。
本多:はい。

司会・伊達:お話ありがとうございました。ではこれから映画『マルサの女』を上映いたします。なお、上映後のトークはございません。本多俊之さんと釘嶋峰幸さんは、本日はこれで終わりになります。皆さんどうぞ拍手でお送りください。

--- 映画『マルサの女』(1987年)の上映 ---

閉会の挨拶

司会・伊達:皆さま、如何だったでしょうか。このような感じで、日本映画の良さを再発見していくというこの取り組みを続けていけたらと思っております。以上をもちまして、本日の「カルト・ブランシュ」を終了させていただきます。本日は長い時間お付き合いいただき、本当にありがとうございました。